こんにちは、星空スペース店長です。今回は心の問題に関するちょっとした論考を掲載します。
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不思議と僕の周りには決心をして新しいステージに移っていく人が多くいます。
僕のような仕事をしていると、何がしかそういう決断に至るプロセスにご一緒させていただく機会が多いのかもしれません。
そういう事態を観察していくうちに、僕はこの「決心」に至る過程に興味がわくようになりました。
「決心」という字は「心」を「決める」と書きます。心を決める、この所作を行う中でいったい人間はどのようなプロセスを経ているのか、そこに僕の関心はあります。
まあ、なにかあることでもやもやしている人がいるとしましょう。
ああでもない、こうでもないと思い悩んだり、
・・・したらどうなるだろう?
・・・したいんだけど○○○がなあ、
とかいろいろ考えるわけです。
ここで面白いのが、そういう状態のままにある人と、その状態から抜け出す人にわかれることなんですよね。
もやもやから抜け出す、それが「心」を「決める」ことにほかなりません。
今、僕はいったい何が起これば、そうした「決心」することができるのか、それを考えているわけです。
まずもって、人はもやもやすると、不安や緊張、ストレスのようなものを抱えます。
これが第一段階「もやもやする」。
たぶん、今の自分の仕事や生活にもやもやを感じない人は、日々の不安やストレスからは無縁なんじゃないかと思います。
このもやもや感がどうしたら発生してくるのか、これも面白いテーマでしょうけど、今日はそのことには立ち入りません。
次を、もやもやした人はどうするのか、ですね。
当然もやもやしたままの人もいます。
もやもや慣れしすぎている人は、
「自分はもやもやする性格なのだ」と
変に自分自身を定義して、そこから先に進むことすら遮断してしまいます。
また、「もやもや」することを、病気や他者に押し付けて考える人もいますね。
まるでもやもやすることは病気の一種と考えるような人も実際にはけっこういて、悩むのは人間の当たり前の行為だと思うんですが、「悩む」こと自体を悩んでいる人をみたりもします。
あるいは、自分の悩みを他者に押し付けてしまい、他者を攻撃や排撃したり、人とのつながりを切断して自分のうちにこもってしまったり・・・
こうした対処の仕方はネガティブな最たる例だと思います。
ここでは、もうちょっとポジティブな方向性を考えたいですね。
まず、多いのは人に相談してみるという行為だと思います。
たぶん、このパターンが一番多いと思いますし、「そうそう、あたしも同じことで悩んでいる」「よくあることだよ」などと言ってもらえることで、もやもやがすっきりしてしまうことも少なくないと思います。
話したらすっきりする、ってことは実に多いことです。
また、もうひとつは調べてみるということでしょうか。
昔ならば、本や雑誌であったり、ラジオやテレビから、自分の興味のあることを手繰っていくことが多かったと思いますが、今はインターネットで検索という大変便利なツールがあるため、過去と比べるとはるかに自分のもやもやを特定するまでの距離が短くなったと思います。
これらが第二段階「人に話したり、調べたりする」。
そして、第三段階で、人はもやもやから決心に至るまでの長い(人によっては短い。一瞬の人もいる)「思いにふける」という沈思の状態に至ります。
ここまではごく当たり前のことしか言っていませんので、皆さん納得していただけると思います。
問題はこの段3段階の途中のどこかにゴールがあって、そして決心に至るという一瞬のひらめきまでです。
人間、決心をすると多くの場合「おめでとう」とほめてもらえたり、「頑張れ」と励ましてもらえたりします。
僕ももちろん、決心した人々には祝福と激励を惜しみませんが、僕の場合はそこでさらに、
「なんで決心できたの?」
ということに関心があることなんです。
いわば、決心の前に人々の心の中でどのような作用が起きているのかを知りたい。
「よしっ!きめた!そうしよう!」
とこぶしを天に突き上げるようになるまでの、心の動作をスローモーションで観察したいんです。
なぜかと言えば、決心できる人と決心できない人の差がそこに埋もれているように思うからなんですね。
いつももやもやして、人にも相談し続け、調査に調査を重ねて続けている人でも、具体的なアクションを何一つとれていないようなひとも目にする一方で、「なんとかなるさ」と何一つ調査もせずにバーンと決めて実行にさっさとうつってしまうような人もいる。
いったいぜんたい、こうした差って何なのでしょうね。
もちろん性格だったり、その人の置かれている状況にも寄ってくるんでしょうけど、僕はもうちょっと心の奥の作用まで科学したいと思うわけですよ。
さて、今まで「決心」という言葉を使ってきましたが、ここで心のステージを言い表す言葉として「覚悟」という言葉を登場させたいと思います。
僕は今考えている仮説として、「決心」した人は何らかの「覚悟」を決める心のプロセスを踏んでいると、考えるのはどうかなと思っています。
いわば
(1)「もやもや」⇒(2)相談・調査 ⇒(3)沈思
⇒(4)覚悟を決める ⇒(5)決心
といった具合に決心に至るまでの順序を考えているわけです。
この「覚悟」という言葉はびしっと定義するのが難しいのですが、以下のような特徴・要素を持っていると思います。
・リスクを取ろうとする。
・自分の責任の範囲を明確に決める。
・失敗したときのことを考えるのを中断する。
「覚悟」した段階というのは上記のような要素と心の中で折り合いがついた状態と申しますか、自分を納得させることができた状況と言えるかと思います。
この「覚悟」という段階を設けると何がいいかというと、「決心」ができない人というのはこの「覚悟」が決まらない人だと言える、からなんです。
先ほどの「覚悟」の要素を思い出してください。
そして、その逆を考えると、人間が決心に至れない理由になると思います。
・リスクが大きすぎてとれない。
・自分の責任ではない。あるいは、自分の責任では決められない。
・失敗したときのことを考えると動けない。
ね、こうして並べると、「決心しかねている」という人の言い分けが綺麗にならんでいることがわかります。
であるならば、「決心」するために必要な条件として、覚悟を決めることが必要で、じゃあ次は覚悟を決めるためにはどうしたらいいか、を考えればいいわけです。
前置きが長くなりましたが、ここからが僕の考えていることの本題です。
「前に進むための覚悟の決め方テクニック」みたいな本があるとして、一体その本にはどんなことを書けばいいのか、それをずっと僕は考えております。
思い悩み、決心がなかなかつかないという人に、そうしたテクニックを教えてあげたい、心のそこからそう思うからです。覚悟を決めるというのが、性格に起因するのではなく、あくまでテクニックなんだとわかれば、思い悩み続ける人たちにとって、一筋の巧妙になるでしょうから。
ここではなるべくシンプルに考えていきましょう。
ヒントはやはり
・リスクが大きすぎてとれない。
・自分の責任ではない。あるいは、自分の責任では決められない。
・失敗したときのことを考えると動けない。
という上記の要素を通して考えていくといいのではないかと思います。
こうした要素を突破するにはどうしたらいいのか、それを考えればよいわけです。
では行ってみましょう。
【第一の壁】:「リスクが大きすぎてとれない」
まずは「リスク」という問題です。
これは、決心プロセス第二段階の「相談・調査」と綿密に関係していると推測されます。
なぜなら、相談・調査しているとどうしても失敗談や危険性についても詳しくなっていくからですね。
「移住」の例がまさにそうです。
移住を決心し移住した人の中には、自分の考えていた理想と現実のギャップに心を打ち砕かれ、せっかく移住したにも関わらず、もとの道に帰っていく人が決して少なくはありません。
調べたり、人に相談したりすればするほど、そういう事例に出くわします。
そうすると、自然なこととして、人は臆病になります。
データの蓄積は人を臆病にさせるよう方向にも作用してしまうのです。
新しいことにチャレンジしようとすると、どうしてもこの問題にぶち当たってしまうことが多いです。
新しいことは当然ながら成功例がすくないか、ひょっとすると皆無だったりします。
そして、逆に失敗例や危険性はもうくさるほどあったりします。
そうすると、よっぽどのドM体質の人でない限り、二の足を踏んでしまいますよね。
前人未踏の大地を突き進んでいくような場合に、どうしたら覚悟を決められるか、「リスク」という問題を考える場合にとても大事なことだと思います。
この点に関して、有効なアドバイスは
「俺の屍を踏み越えて行け!」だと思います(笑)。
いや、冗談めかして言ってしまいましたが、自分のチャレンジと社会との関係性をつかむことはとても大事なことではないかと思うのです。つまりは、自分のためのチャレンジではなく、他の誰かのためにあえて自分がチャレンジするのだと捕らえなおせばよいと思うのです。
たとえば、先ほどの移住の例で言うと、今の日本の地域では高齢化が都市よりも早く進行して、どんどん若い人がいなくなってしまっています。
そうなると、お年寄りの人や地域の公共物をケアする人もいなくなり、さらに地域は停滞・荒廃の度合いを強めることになってしまいます。
こうしたことを見据えて、自分の移住というチャレンジは人のため、ひいては社会のため、と考えることが大事です。それが結果的に自分のためであればよいのです。
これは自分を納得させるという先ほどの「覚悟」を決めるための所作として大事なだけでなく、第三者に伝える印象という点でも極めて重要な役割を果たします。
「もう都会はいやになっちゃったから田舎に逃げてやるー!」
というAさんと
「過疎化がすすむ地域のために自分の身を投げいれて社会に貢献してみせる!」
というBさん。
世間一般が応援したくなるのは、当然Bさんの方でしょう。
応援されると人間いい気持ちになります。
もっと頑張ろう、まだまだ粘ってみようというポジティブなこころの持ちようになります。
そうすると、頑張りが結果となって成功もしやすい。
ですから、リスクの大きさについて、心を納得させる場合にはそのチャレンジの社会性に着目することが大切だと思います。
この点に関して、予想される反論はリスクを軽減するためのデータ集めをした方がいいのではないか、という指摘でしょう。
これは反論としてとても正論で、経験を重んじるような人ほどそうした傾向が強いと思います。
しかし、ビジネスや大きくいえば人生もそうですが、リスクの議論をリスクの観点のみから解決しようとすると、どうしても人間的に小さくなってしまうような「決心」しかできないと僕は考えます。
たとえば、あなたが野球の選手だったとしましょう。
バッターボックスに向かおうとすると監督に呼び止められ、次のようなことを言われたらどうするでしょうか?
「いいか、ホームランでもヒットでもバントでもかまわないけど、絶対に失敗するな。いいな。失敗したら次はないぞ」
こういわれるとどうしても人間ホームランを狙うようなバッティングはなかなかできないものです。あわよくば、1塁に出られるように、できるだけ安易な技術に頼るプレーになってしまいます。
つまりは覚悟が決まらないのです。
すると体も縮こまりバットも伸びなくなります。
失敗を恐れると、本来成功を目指していたはずのプレーヤーでも何もできなくなってしまうのです。
だから、リスクのことを言われ過ぎたときに、リスクをゼロにするような努力をすると、逆に覚悟が決まらなくなると僕は思います。
【第二の壁】自分の責任ではない。あるいは、自分の責任では決められない。
これは「責任」に関する議論です。
これも具体的な事例で考えてみましょう。
あなたは、ゴミの問題について興味があります。
自分ではゴミの分別や少量化に努めていますが、町内の増え続けるゴミの問題に心を痛めています。
あなたは町内の人々にゴミのリサイクル・少量化を呼び掛けたいなあと思っていますが、なかなか決心がつかない状況です。
なぜならば、ゴミ問題を管轄しているのは町内会と行政であり、自分は町内会の役員でもなければ、行政にひとりで働きかけるほどの途方もない労力も取りたくないからです。
さて、こういう状況を思い浮かべて、あなただったらどうするかを考えてみてください。
「もやもや」をどうにかしたいと考えるとき、自分の責任の範囲や領域が問題になることはよくあります。
他にも、先ほどの移住の問題にしても、家族のいる人は自分の責任だけでは決められず、家族の同意も得なくてはいけないという場合が多いでしょう。
この責任論は意外に根の深い問題で、人の決心を背景から阻害する要因になっています。
さて、この問題に関して有効な方法は何でしょうか?
僕が考えているテクニックは、
「勇者は魔王を倒すために仲間を募れ」
です。
具体的なアクションを起こすよりも先に、自分と同じことを考えている仲間を集めることから始めると、案外「決心」を促してくれる一番のポイントになってくれるのではないかと考えています。
特に僕が重要だと考えているのは、仲間を集めるという行為の中で、自分のやりたいことを伝えることがよりシャープに洗練されていくことです。
当然ながら、出会って早々
「仲間になってくれ」
「ハイ、アナタノナカマニナリマショウ」
なんていう二言返事でついてきてくれる人間はそういません。
多くの場合、どうして自分がそのことをしたいのか、どうして自分と一緒にそのことを考えてほしいのか、を情熱を交えて人に語らなければ、人は動いてくれません。
こうした過程は、ある意味で自分を追い込んでいくことにつながるとも言えます。
「魔王を倒して世界に平和を取り戻そう」といって仲間を増やして言ったにも関わらず、いつまでたっても魔王を倒しに行かなければ、それはほかの仲間たちも文句を言ったり、出て行ってしまうでしょう。
つまり、自分のやりたいことを、自分にやらせてあげるためにも、仲間を集めることはとても大切なことなのです。
責任論を直接的に解決するためには、いわば自分が責任者になる、人から責任者と認めてもらう必要があります。
しかし、会社やチーム、あるいは家族の問題を考えてみてほしいのですが、いきなり問題の解決責任者になるのはとても難しいことであったり、場合によっては無理だったりすると思います。
ですので、そういうときにはまず自分のことを支えて、自分の決心を促してくれるような、仲間を見つけることこそ覚悟を決める近道になってくれるのはないかと思います。
さあ、最後まで来ました。
ここは気を引き締めていきましょう。
しまっていこうぜー!うーっす!(独りエール)
【第3の壁】失敗したときのことを考えると動けない。
さあ、出ました。
最後に持ってきたのはもちろんわけがありまして、実はこいつが一番やっかいだからですね。
これは、一番目の「リスク」の問題と似ているような気がすると思いますが、実は似て非なるものです。
「リスク」の問題はあくまで客観的データと経験則に基づく可能性の問題であるのに対して、この「失敗したときのことを考えると動けない」というのは多分に心情的な問題なのです。
誰だって「失敗」するのはいやなんです。
そりゃ、「成功」するためには失敗も必要なんてことは百も承知なんですが、だからと言って失敗することはできる限り避けたいというのが、人間の偽らざるところでしょう。
特に、日本の教育制度にずっぷりと漬けられて、マルバツ形式の消去法で優秀かどうかを選別されることを繰り返された私たちは、極度に「失敗」を恐れるように”教育”されてしまいました。
口ではみんな「失敗」してもいいからやってみろ、とは言いますが、実際にほめられるのは「成功」した人のみであり、「失敗」した人にはひたすら冷たい社会背景を日本は持っているとまでいわれます。
失敗することを恐れている人に「失敗を恐れるな」と言っても、幽霊が怖い人に「幽霊なんて怖がるな」と言っているのと同じことです。
この問題は非常に根深く、「失敗してもいい、やろう!」と覚悟をはじめから決められる人は、かなりの勇気をすでに持っている人です。
大多数の人はそうではないのです。
だからこそ、この問題はテーマとしてはとても深刻で、僕としてもおいそれと簡単に結論を言うわけにもいかず、最後に持ってきたわけです。
しかし、「失敗」を恐れている人に対して、無言でうなずく、なんて言うのは一番冷酷なことですので、これもなんとかしなくてはいけません。
かといって、たとえばトイレに夢を書いた紙を張ろう、とかそう言うのは最悪だと思います。
思い込みの強い人ならば自己催眠になるかもしれませんが、結局、精神論的な話でしかありませんからね。
覚悟を決めるためのこの最後の壁をどうするかが問題ですが、以下のようなテクニックが有効ではないかと思っています。
それは「失敗を必ず経てから、成功できる方法を考えよう」という作戦です。
これは、失敗を成功のための演出と考えようと言い換えてもいいです。
たとえば、上図の絵を見てみてください。
釣りにチャレンジしようと思い立ったにゃー太君。
どうしても、最初はたくさん魚を釣ってやろうとイメージを膨らませがちです。しかし、はなっからうまくいくようならば、人生苦労しません。そう、最初から成功しようというのが虫の良すぎる話であるのです。
そこで、上記の作戦「失敗を必ず経てから、成功できる方法を考えよう」というシナリオを考えてみるのです。
「釣りにチャレンジしようと決心したにゃー太君、はじめは全然魚も釣れず、いつも餌を食いちぎられてばかり。しかし、にゃー太君はルアーに改良を重ねてついに魚を大量に釣れるように上達したのだった」
とまあ、こんな感じでストーリー仕立てで考えてみるのです。
これは恋愛なんかでもきっと応用可能で
「あこがれのにゃん子さんに告白したにゃん太君、しかしにゃん子さんは恋愛対象として見れないという釣れない返事。しかし、にゃん太君は要所要所でにゃん子さんの悩みを解決し、いつしかにゃん子さんはにゃん太君に心ひかれる存在に」
とかです。
これは、長くつをはいた猫方式とでも言えるかもしれません。
(知らない人は「長靴をはいた猫」の物語を読んでみてください)
覚悟の前にココまで心の準備をしておくのです。
ここで、注目してほしいのは、前のは「ルアーの改良」、後のは「悩みの解決」といった具合に、失敗のあとに具体的なアクション・改善策をあらかじめ含んでいることです。
覚悟を決めるための方程式として
失敗⇒具体的に解決するポイント⇒成功
というところまでイメージすることが大切です。
逆にいうとココまでイメージできないような事柄はまだ覚悟を決めるにはもしかしたら早すぎるのかもしれません。
肝心なのは、失敗した後にいかにリカバリをするか、ということです。
また、「失敗しないようにどうすればいいか?」を考えてはいけないということでもあります。
「失敗」がこわいんだったら初めから、「よし、失敗してやろう」と思わないとダメなんです。
逆に「成功しよう!」と決心すると、失敗したときに代償が大きすぎるということもあります。
「失敗」を恐れて決心できないということは、失敗したときに逃げたくなる蓋然性も高くなります。
「失敗」の上に「失敗」を重ねるのは、メンタル的に耐えきれないからです。
そのためにも、あらかじめ「失敗」を念頭に置き、失敗したときにどうするかの対抗措置を事前準備しておけば、心理的なプレッシャーもかなり下げられるのではないかと考えたわけです。
以上、長々と僕の考察を書いてきました。
覚悟が決まらずになかなか決心ができない、そういう人がこの覚悟の決め方テクニックに関する文章を読んで、前に進む決心がつけられたら、こんなにうれしいことはありません。
(良)