星空スペース

【10/14-2/18】名人彫物師島村圓鉄とその末裔たち@睦沢町立歴史民俗資料館

こんにちは、星空スペース店長です。

いすみ市のお隣の睦沢町で、彫刻それも木彫りアートが好きな人にぜひ見てもらいたい特別展が開催中ですので、紹介しておきましょう。

特別展名人彫物師島村圓鉄とその末裔たち_ページ_1

島村圓鉄(「えんてつ」と読みます。円の旧字体ですね)?

誰それ?

っていうのが、普通の反応だと思います。

かくいう僕もこの資料館で知るまでは、未知の彫刻家でした。

リビング千葉に特集ページがあるので、そちらからプロフィールを引用させてもらいましょう。

島村圓鉄(えんてつ)とは

“江戸時代の彫工の祖”と言われる島村俊元の長男。元禄~享保5年(1688年~1720年)ごろに関東各地を遍歴して、寺院や神社の欄間などの彫刻を彫り、名人と言われていました。研究が始まったばかりの、謎の人物でもあります。
千葉県成田山新勝寺の光明堂と三重塔(いずれも国指定重要文化財)、栃木県大前神社と茨城県雨引観音楽法寺の彫り物は、圓鉄作と分かっています(それぞれ県指定文化財)。

 

まだwikipediaにすら名前が参照されないのですが、彫刻を見る限り、それがあまりにも残念すぎる日本の歴史文化財への態度を示しているようで、悲しくなりました。

特別展名人彫物師島村圓鉄とその末裔たち_ページ_2

 

「木」は、日本人の家屋における屋台骨であっただけでなく、塑像と並んでかつては日本の立体芸術における中心的な素材でした。

木を彫り、削り、磨く。

この技術を極限まで磨き上げていたのが、江戸時代という時代でした。(平安後期から鎌倉中期までの時代もレベル高いのですが、裾野の広がりという意味では圧倒的に江戸時代です。)

その時代に活躍したであろう彫物師が島村圓鉄。なお、一部で最近よく取り上げられる初代波の伊八こと武志伊八郎信由は、この圓鉄から数えて3代後に活躍したそうです。

しかし、木を彫るという技術は、文明開化の号令の元圧倒的に押し寄せてきた欧化の波に抗えず、江戸時代までで磨き上げられてきた技術はほとんど消え失せてしまったといっても過言ではない状況です。

それを確認するという意味で、この特別展は非常に貴重ではないかと、実際に作品を見ていて思いました。

木材という非常に加工の難しい素材をこの境地に至るまで彫り上げ、まるで躍動するアニメーションのごとく立体的構造を持ったアート空間を現出させる。。。

一度でも木材を彫り上げる経験をしたことのある人であれば、圓鉄やその後の伊八の系譜の作品をみるだけでいかにすさまじい手間隙を掛け、技術の粋を尽くしていたか感じてもらえるのではないかと思います。

しかし、左甚五郎から始まったといわれる彫師の家系も、いまではか細く残るのみなんだそうです。それがどうにもやるせない。こんなにすごい芸術作品を作り上げてきた先人たちの技を見ることなく、薄っぺらい芸術作品が跋扈するばかりになってしまったいまの日本の有様を見るに、とても嘆かわしい状況です。他の芸術分野にもいえることですけどね。

今一度、わたし達のすぐ身近に存在する「木」という素材に注目してもらえるようにするにはどうしたらいいのかな、と作品群を見ながら考え込むことしきりでした。

無料で貴重な作品群を、じっくり味わえる貴重な特別展ですので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。

睦沢歴史民俗資料館紹介ページ(むつざわにきてねウェブサイト)

(良)