星空スペース

『房総コーヒー 旅と日常』あるいは自由を求めて旅する人々の話

こんにちは、星空スペース店長です。

おかげさまMAXで、星空スペースも12月は怒涛の団体様ラッシュが続いておりまして、ブログを書く余裕がなかなかございません。

本当は書きたいことがたくさんありまして、記述欲求も氾濫寸前なのですが、こうして深夜のひと時にコーヒーを飲みながら書くのがやっとの状態です。

 

そうそう、コーヒーといえば。

boso

暮ラシカルデザイン編集室の編集発行人である沼尻亙司氏が、『房総コーヒー 旅と日常』という著作を書いたことを皆様におしらせしておこうと思いながらも日々が過ぎてしまっておりました。

僕がいすみに来る前から、そして沼尻氏が勝浦に来る前から、とまあお互いに移住する前からの古くからの知り合いなのですが、氏はあんまり前に出るのを好まない気質なので、ここでは勝手に暮ラシ氏と呼ぶことにします。

暮ラシ氏はすでに5冊もの房総のお店にまつわる本を自費出版されている房総リトルプレスの雄なのですが、6冊目であるこの度の「房総コーヒー」という本は今までと厚みからして違う本になっておりました。

この本をはじめて持ったときは、重さも今までとはまったく異なる重みを感じ、そして紙の隙間からはほとばしる暮ラシ氏の文学的熱気が湯気になって出ているようでした。

概要的に説明をしますと、この本は房総のコーヒーショップを暮ラシ氏が尋ねて、そこにある日常を切り取ろうとした旅の本になります。

しかし、僕にはこの本が『自由』の正体を、『自由』のにおいやまとい方を、暮ラシ氏なりに論じている本であると感じました。

コーヒーを飲むから自由を求めるようになるのか、あるいは自由を求めるからコーヒーを飲むのか。

それは人によって異なるのでしょうが。

はるかな、はるかな旅をして、なぜか漆黒の実がここ房総半島にもコーヒー文化をもたらし、それがそこかしこに小さな、しかし活気のある『自由』を作り出していることを、暮ラシ氏はその独特のカッコつけた文章で、読むものにおしえてくれます。

きっと房総では、あの珈琲豆を焙煎するシャリンシャリンという音が、あるいはあのドリップする際のしずくが零れ落ちるときのあのにおいが、あるいはコーヒーがグラスで運ばれてきて口をつけるまでのちょっとした空間的断絶が、『自由』を求める人々の間の取り方に合っているのでしょう。

そういった『自由』の正体を、コーヒーの黒く輝く中に見出し、日夜コーヒーショップをめぐっては本を書いているような人物の、その本を読みながらゆっくりコーヒーをすする日々を、僕はおススメしたいと思います。

ちなみにこちらの本は、星空の小さな図書館で販売しておりますし、星空スペースでも読むことができます。

(良)