星空スペース

おらが料理記


まいどどーも、星空スペース店長です。

実はこの記事を書いている今日も、自分よりも一回り以上も年が若い人々にいろいろと話をする機会がありまして、やはりどうにもそういうことがありますと、自分の人生の変遷だとか何を思って今まで生きてきたのかとか考えてしまいますね。

今はカフェの店長としても働いているわけなんですが、人様に自らが料理をしてその対価として代金をいただくというこの商売も僕の場合はじめから志してなったわけではなかったんです。

大学卒業後は、某コンサルティング会社に就職し、コンサルタントとしてバリバリ仕事をこなしていた僕(注:表現には多少の誇張が含まれます)が、なにをどうして今こんなことをしているのか、書き始めると長くなってしまうんですが。

時々振り返ることも大事だなと思いまして、人様に代金をもらって料理を提供し始めた2012年のことからでも、書いておこうと思ったのです。

あの東日本大震災があった2011年から先、僕の人生は毎日アップダウンの激しすぎるイベント続きのハチャメチャな日々を送っていまして、いかに生きるか、そして何をすべきかに悩み苦しんでいた(注:もちろんいまも悩み続けていますが)時期でございました。

無力な自分を痛感し打ちひしがれる目にあったこともたびたびありまして、本当に福島第一原発の作業員になろうかと思っていたこともありました。

とにかくできることをなんでもやってやろうと思っていた僕は、2012年にいすみ市に移住した年に、東京目黒区にあったあるお店で1週間に1日だけのワンデイカフェ&居酒屋をはじめたのでした。

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お店の概観

店名は「月あかり」。漆黒の闇夜を照らす月明かりのように、この時代の中で一筋の希望になりたいとつけた名前でした。

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当時使っていたお店のロゴ

毎週、いすみから東京都目黒区まで、片道3時間ほどかけて、車に食材を積載して通ってました。通うのが本当に大変でしたね。

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もっていっていた野菜の一例。

この当時から僕の問題意識は、野菜という食材の美味しさを「伝える」ことをどうしたらできるかということでした。

店をやり始める前から料理をするのは趣味的に好きでしたし、またサラリーマン時代は外食する金銭的余裕もあったもんですから、ほぼ毎日美味しい店を求めて食べ歩く日を送っていました。学生時代はとある大きなレストランの厨房で働いていたこともありまして、そこで料理長から「お前うちで面倒見るから料理人にならないか」と誘われたほどです。

※参考

そんな僕は一方で、大都市の有名料理店で「料理」として出されているものが、いかにまやかしやごまかしが多いかにも辟易としておりました。(注:もちろん、そうでないお店もたくさんありますよ!!)

「料理とはいかに食材に味を乗せるか」

と思っているお店が多すぎで、食材の味を打ち消すかのごとく塩をはじめとする調味料でとにかく味の濃い料理を作る、それが本当に圧倒的に一般的になってしまっている現状があると思います。ラーメンなんかそれがもっとも顕著です。

もちろん、食べる側のほうもそれを求めるからそうなってしまうんですが、味の濃い料理というのは食べた瞬間に舌と脳が美味しいと勘違いしてしまうんですね。

音楽で例えると、超強力なブースターで音量MAXでベース音を聞いているような状況です。細かい音がわからずとも、ドンドンドンというベース音で体が浮いたような状況になってしまい、それに脳が興奮物質を出しますから、細かい音がわからずとも楽しいエキサイティングな気分を味わったような気になってしまいます。

味の濃い料理もちょうど同じような感覚です。料理全体としてなんか食べてしまう、そうした効果と演出に上手いのが流行る店となってしまっている。料理が美味いんではなく、演出が上手いんです。食材の美味しさは二の次なんですね。しかも、お店の側もどうせ食材の美味しさなんて客にはわからないだろうと高をくくっているところまであります。

そうした料理業界の要望を受けて、食材を提供する農業の業界も変わってきてしまいます。

野菜をいかに安く見映えがよく大量に安定的に作るか、そのことに心を奪われて、野菜単体としての美味しさ・瑞々しさを伝えることを自ら放棄してしまったような野菜が作られる時代になってしまいました。

それは、農業の工業化を意味し、野菜は工業製品と同じように考えることです。

一方で僕は、人を良くする「食」のあり方をこのころから強く意識して考えるようになりました。

※参考

上記の記事をまず読んでほしいのですが、食材を殺さず活かすにはどうしたらいいのか、そのことに悩みながら、ある意味実験的にお客さんに料理を出していたのが、ちょうど月あかりをやっていた2012年のころだったのです。

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お出ししていたプレートの一例。

このプレートでは、野菜を味付けをせずに最低限の加工を施して、プレートにある塩を付けて食べてもらうものでした。

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当時は、千葉県匝瑳市にある熱田農園さんのお野菜が中心でした。

千葉県で昔から続く有機農家さんでしたが、震災と原発事故を機に野菜の注文が減ってしまっていました。志ある農家さんがこんなに苦しむという理不尽な状況をなんとかしたいという思いで、とにかく野菜を食べてもらえればなんとかなるんじゃないかと思いながらやっているところがありましたね。

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毎回どの料理にもおだしするようにしていたサラダ。その時期によって野菜をいろいろと変えていましたが、基本的には野菜そのものの味を楽しんでもらうようにただ盛り付けていただけでした。

しかし、このころからドレッシングの重要さに気づいて、野菜本来のうまみを引き出すようなドレッシングを作ることに情熱を持つようになりましたね。

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もちろん、ときにはちょっと手の込んだサラダなんかも作りました。これはたまごを利用したたまねぎとスナックインゲンのサラダ。

野菜は焼いたほうがいいのか、蒸したほうがいいのか、茹でたほうがいいのか。食材や食べ方によってその答えは変わってきます。基本となることは取り入れながらも、自分でいろいろと実験しつつ、野菜の美味しさを失わない程度に加工を加えることについて僕の研究は続いていました。

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もうひとつ、このころから熱心に研究するようになったのは、野菜のスープでした。

もちろん生野菜と違って、スープにすると野菜単体の美味しさはある程度消えてしまいます。しかし、野菜のチームプレーとしての美味しさを引き出すという意味で、スープ料理はとても追及し甲斐のある料理方法です。

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僕のスープを飲んだ人はたいがい「やさしい味」という表現をします。なぜなら、塩をはじめとする調味料の量が圧倒的に少ないからです。

意図的に、最低限入れるぎりぎりの量を追求し続けています。そうすると、どうしても味付けは薄く感じてしまいます。もうこれはしょうがない。濃い味付けに慣れた人の舌をいきなり変えることはできません。

しかし、スープの中に浮かんでいる食材の美味しさに気付くチャンスが生まれるんです。このチャンスを作り出すのがスープ料理の醍醐味ですよ。

そのチャンスに本当に美味しい野菜を食べたときに人がとるリアクションの面白さ、僕はその瞬間が大好きなんです。生野菜と違ってダイレクトにその感動が襲ってくることはありません。しかし、のどを通って、胃に入って、じわーと広がってくる野菜のパワーを胃腸が吸収し始めたときに、そのときになって、あふれるほどの感動が押し寄せてくるんですよ。

たいがい皆さん上を向きます。そして息をハッと吐き出す。その吐き出した水蒸気の中にあるうまみのにおいをまた鼻でかいで、また匂いを堪能し、そしてスープをまた飲む。この繰り返し動作が起きていたら、その人がスープを心から美味しいと思っている証拠だと思っています。

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こちらはズッキーニのソテー。たまごの下にチーズが入っています。

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にんじんとインゲンをひき肉の炒め物。大根の煮ものにかかっています。

ほかにも、餃子とかチャーハンとかいろいろ作っていましたね。

ちなみに月あかりというお店自体は9ヶ月続けて、もろもろの事情がありやめることにしました。

ご来店いただいたお客さんに書いてもらっていたカード

ご来店いただいたお客さんに書いてもらっていたカード

ありがたいことに、そこそこお客さんも来てくれてまして、僕は自分のスタイルに可能性を見出し始めていました。きっと野菜本来の味を味わいたいという人も多くなってきていると自信にもなりましたね。今思えば、このころの視点が今の星空スペースの料理にもだいぶ反映されてきているように思います。

また機会があれば、東京に出ていって料理を提供してみたいとは思っていますよ。