星空スペース

農業とイノベーションと 久松農園久松達央さんの講演を聞いて考えたこと

こんにちは、星空スペース店長です。

前にもどこかで書いたと思うんですが、僕はずっと前に起こった出来事を反芻しながら考えるような性質でして、数年前の読んだ本の内容や、数ヶ月前の誰かが言った一言なんてものを、今日思い出しながら意味を考えていたりします。

だからなのか、LINEだとか、Facebook Messengerだとか、即答が求められるコミュニケーションって実は苦手です。既読スルーしまくります(笑)。

ちょっと考えてから答えたい人にとっては、ああいうアプリのコミュニケーション手段は時々迷惑に思うこともあったりで、現代を生きる生きづらさみたいなものを感じてしまいますねえ。

という、どうでもいい話は置いておいて。

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いささか旧聞に属してしまうのですが、今年の1月18日にいすみ市役所内で行われたいすみ市農業講座の話でもしようかと思います。これは、いすみ市役所と提携して農業振興と移住促進を担っている株式会社マイファームさんが企画した講演会で、僕もマイファームの方々に誘われて行ってみることにしたのでした。

後述しますが書くのをためらうようなことが多くあり、今日までだらだらと思考を引き伸ばしてブログに書くのを遅らせていました。

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茨城県で有機農業を営む久松農園の久松さんはさすがに講演慣れしていて話すのがうまく、ついつい引き込まれてしまう魅力的な方でした。しかし、話す内容は正直なところかなりラディカルで僕の中ではかなり考え込まされる内容でした。

あえて語弊を恐れずに申せば、久松さんは一流の喧嘩師でした。

もしくは、例えていえば、幕末維新の「憂国の士」といったような人で、まず間違いなくあの時代に生きていれば開国を真っ先に主張し尊皇攘夷派にぶっ殺されていたでしょう。

しかし、時代は変わって地域の地場産業の側が逆にインポテンツ化してしまったような現代においては、久松さんの振り上げたコブシは虚空を舞うばかりで、買われることのない喧嘩を売り続けている憂国の士というものは少し哀愁すら感じるものでした。その証拠に、聞き終わった会場の皆さんも「良い話を聴きました」みたいな顔で満足されており、誰一人義憤も感じていなければ、久松さんに対して殺意も抱いていない。まったく平和な時代になったものです。

久松さんの熱意とモチベーションはある種の「怒り」と「危機感」から湧き出ていて、お話を聴いていくうちに、僕はシュンペーターという人が唱えた「起業家(entrepreneur)」のことを思い出していたのでした。だからこそ、僕の心がざわめくのかと記憶のエレベーターが昇って来るなかで妙な不安感を感じたのです。

久松さんはかなりつっこんで経済学と経営学関連の学問を勉強されているはずで、話す内容は丁寧に噛み砕かれていましたが、ちょっとバックグラウンド無しには理解が難しい話も多かったように思いました。特にシュンペーターの議論を知っていると、もっと話は面白く思えてもらえたはず。

昨今ではいたるところで耳にするようになったこの「イノベーション」という言葉、この概念を生み出したのはヨーゼフ・シュンペーターという経済学者です。

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ヨーゼフ・シュンペーター(1883-1950)

経済学者といえば、ケインズという人が日本では圧倒的に有名ですが、アメリカではケインズと並んで人気があるのがこのシュンペーターという人です。僕も昔に著作を読んだものでしたが、当時理論はわかるけど実感のわかなかったこの「イノベーション」という言葉、なんだか今ではすごく実感を伴って理解できるような気になってきたのです。

 

はじめに言っておきますが、僕は「イノベーション」という言葉が実はあまり好きではありません。

いやはっきり言って、このイノベーション理論というのは恐ろしい理論だと思っております。

しかし、この私たちの生きる時代においては、イノベーションが必要と思うこともたくさんありまして、そこが僕の中で究極のジレンマになっています。

 

イノベーション理論はもちろんさまざまな要素を持った考え方なのですが、僕がシュンペーターの主張する中でもっとも先鋭的でなおかつ“恐ろしい”と感じたのは、「創造的破壊」という概念を打ち出したことでした。

順番に説明していきましょう。

シュンペーターさんは、どうしたら経済が発展するのか、どうしたら企業と社会が爆発的に成長するのか、それをものすごい突き詰めて考えた人でした。

そして、企業が爆発的に成長し、そうした企業に牽引される形で経済が発展するきっかけとして「創造的破壊」という導火線につける火花のようなものを発見し、その創造的破壊の成果としてイノベーションが起きるということを理論化したのでした。

この創造的破壊というのは、いろいろな要素が考えられるとシュンペーターさんも言っていますが、中心的に考えられたのは技術(テクノロジー)の進歩がもたらす技術革新でした。

 

いろいろたとえ話ができるんですが、電車の切符にまつわる事例がわかりやすいかもしれません。

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昔は、改札口に必ず切符切りの駅員さんが立っていたものでした

昭和生まれの人は、まだ駅の改札でチョキチョキチョキと小気味良い音を立てて電車に乗る人々の切符を切っていたあの駅員さんたちの姿を思い出せるんじゃないでしょうか?(平成生まれの人たちにはわかりづらいたとえで申し訳ないですが)

あの切符切りの駅員さんたちってどこに行ったと思いますか?

ちょっとした大きさの駅であれば、必ず改札に数人はいて通勤時間のものすごい人をてきぱきと捌いていたものです。いったい日本全国に何人の切符を切る駅員さんたちがいたのでしょう。日本中の国鉄も私鉄もあわせて、それはそれはすさまじい数の人がいたに違いありません。

しかし、suicaに代表される磁気型カードと磁気読み取り改札が導入されたことによって、あのすさまじい数いた改札の駅員さんたちはそれこそあっという間に、それこそすさまじい勢いで、淘汰されていってしまいました。

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suicaと磁器読み取り改札

こういうのが、技術革新にもとづく創造的破壊です。

注意しなくてはならないのが、ただの破壊ではなく、「創造的」破壊なのです。

さっきのsuicaの事例でいうと、大量の駅員さんが駆逐された代わりに、suicaに代表される電子マネーというツールを手に入れた鉄道各社はものすごい大きなメリットを享受できるようになりました。

それが、駅中・駅地下・駅近の開発・活用です。

今では、suicaなどの電子マネーは駅の乗車券購入だけではなく、駅や駅内外のさまざまな商業施設で使えるようになり、それがおおきな消費活動と結びつき、駅中や駅チカの大規模開発を誘引し、特に都心部における駅は大規模商業施設としてよみがえるようになりました。

このように、はじめは切符を切る駅員さんのコストカットで導入されたsuicaなどでしたが、波及的・爆発的に普及したおかげで、suicaなどの電子マネーは社会や経済システムを変えるような変革を「創造」したのでした。

整理すると、イノベーションというのは創造的破壊を必ず伴います

ですから、今の例の切符切りの駅員さんたちのように、めっちゃくちゃに駆逐される側の人間というのが出てきます

それを是とし、良しとする、そしてそれをはるかに上回るメリットを社会・経済にもたらすような変革をなしとげようとするのがイノベーションというものなんです。

余談ですが、昨今、ソーシャルイノベーションだとか、やたらイノベーションを使う言葉が流行っているんですが、じつはこの創造的破壊の概念が抜け落ちている欠陥的な話が多く、僕は非常に苦々しく思っています。

イノベーションは上記のように、焼畑農業みたいなもので、ビジネスの焦土作戦の後に新しい作物を植えつけるような考え方を基本としており、ちょっと社会に良いことをしよう!みたいなものは厳然とイノベーションと区別すべきものです。

そういうのは「インテグレーション」という最適な言葉があるので、イノベーションとインテグレーションはきちんと使い分けたほうがよいと思っております。

逆の見方をするのであれば、仮にイノベーションという言葉をつかいたいのであれば、「あなたがめっちゃくちゃに破壊したいと考えているマーケットや仕組みはなにか?」というのを明確に答えられるようにしたほうがいい。それくらいの覚悟がないと、イノベーションは起こせないし、目指すべきでもないと思うんですよね。

その点はシュンペーターさんもきちんと向き合っており、ある種の空気を読めない人、まわりに流されない人こそ、イノベーションの着火に必要だと説いています。

その存在こそ、「起業家(entrepreneur)」です。

次の時代を作り出せるような社会の仕組みをあえて造ろうとするのは、かならず作用と反作用(副作用)をもたらし、すべての人をハッピーにするわけでは絶対にありません。

どころか、駆逐される人が出てくる、どこかで涙を飲んだり、絶望したりする人をつくりだしてしまう。

そういうことをやれるようなのは、やさしい人ではダメなんです。

自分の信念に従って、時に非情に、時に冷徹に「切り捨てる」ことができるような人でないとなりません。

だからこそ、シュンペーターはわざわざイノベーションの議論に起業家という像を持ってきて、そういう非情・冷徹な人間も時代の変わり目には必要だということを理論化したのです。おもえば、マイクロソフトのビル・ゲイツもアップルのスティーブ・ジョブスもけっして人間的にはやさしい人ではなく、むしろ冷血漢にふさわしい非情さと冷酷さを持った人でした。

 

前提となる話が長くなってしまいましたが、「めっちゃくちゃに破壊したいマーケットや仕組み」を持っている人が創造的破壊を引き起こせる第1条件を満たしているという話でした。

 

で、話は戻るんですが、久松農園の久松さんは講演会の中でその対象を明確に持たれていたのです。

誰かといえば、それは年金・補助金をもらっている農家です。

久松さんはマクロの視点から経済を読み解き、明確にそのことは宣言されていました。

そして、イノベーション理論でよく出てくる「新陳代謝」という言葉も何度も使って、農業に新陳代謝を起こす必要性をアツく語っていたのです。

 

久松さんの講演の演題には「小さくても強い農業が生き残る」とついていました。

そして講演の中で、小さくて弱すぎる農業、つまり年金・補助金をもらってなんとか畑や田んぼを維持している現状の農家の大半を駆逐する必要性を強く説いていました。逆に補助金を出す側の政府・行政も同じ構造の中でぬるま湯に浸りきっています。

そうした農家が農業の市場をゆがめて、やる気に満ちた若者の農業参入を阻害する元凶になっている。

ホントにそれはその通り!

・・・という側面が確かにあります。

小さくても強い農業ができる新しくて若い農家を阻むいろいろな弊害が今の日本の農業システムには確かに存在するんです。

だから、農業にイノベーションを起こそう!という目的を持つのであれば、最大の敵とすべき対象は、農家の圧倒的なボリュームを形成している60代後半から80代までの人々であることは、これは間違いありません。

イノベーション理論の立場から言えば、久松さんの立場は明確に正解であり、そして正義でもあります。

(あと、この久松さんを講師に呼んできたマイファームは間違いなく確信犯です(苦笑))

 

久松さんは、旬のオーガニック野菜を注文先の消費者に宅配で届けるビジネスを展開して成功を収めました。

市場出荷しない、中間マージンをとる卸を介さないこのような方法は、近年新規就農者のスタンダードになりつつあります。

ビジネスも拡大し、雇用者も増え、久松さんの話に聞き入る人もどんどん増えているようです。

まさに、久松さんのようなビジネスモデルがもっと一般的になったとき、農業にイノベーションが起きたということが出来るのかもしれません。

若者たちがつぎつぎと久松さんのような存在を目指せば、あるいはそこそこの成功を収める人たちが徐々に増えていき、日本の農業が大きく変わるような時代もくるかもしれません。

 

で。

はじめのほうの話しに戻るんですが、実は僕は「イノベーション」という言葉があまり好きではありません。
ここまでの話をしておいてなんですが。

僕は、どうしても性分的に、イノベーションよりもインテグレーション的な価値観を重視するようで、段階的にものごとを良くしていく方策がないのか、ということ考えてしまうからというのもあります。

また、農業のビジネス的な側面だけにとらわれすぎると、地方で農業従事者が果たしている別の側面を見逃してしまうのではないかという思いもあります。

ここら辺を説明するのが難しいのですが、農業においてイノベーションを起こすといった場合に、割り切れない感情が発生してしまい、どうしてもまだ何か迷いがあります。

一面で久松さんがおっしゃられているようなことも頭では理解できて、しかも共感も覚えるのに、そこに正解があるのか、あるべき未来なのか不安を覚えるのです。

先ほど、イノベーションの事例として切符を切っていた駅員さんの話を出しましたが、果たして農業にイノベーションをもたらしたときに起こる創造的破壊によって、駆逐される側を見過ごすことができるのか、また新しく農業に参入していく人々もどんどん年をとるわけで、数十年後、もしくは百年後を見据えたときに、どこに農業のあるべき姿があるのか、それについて視点が定まっていないところもあるのでしょう。

そんなことをぐちゃぐちゃと考えているうちに思考はぐるぐると同じところを回り、どうしたらいいのかなあという問題意識ばかり大きくなってしまいブログに記事をあげるのも遅くなってしまいました。

まあ、久松さんの話は面白かったですし、いすみ市の農業についても皆さんが考える良いきっかけになったのはよかったと思います。

あるべき農業の姿はどんなものなのか、それをいろいろな背景を持った人が一緒にもっと考えられるようになれば、きっと良い方向に農業も変わっていくはずですから。あきらめもせずに着々と自分のできる範囲のことをやっていくしかありませんね。

(良)