星空スペース

普通の会社員な私が田舎暮らしできるのか?


こんにちは、星空スペース店長です。

昔からなぜか女性のツインボーカルの音楽が好きになってしまうことが多いんですよ。

PUFFY、HALCALI、GO!GO!7188、BENNIE K…などなど

 

さて、ちょっと前に宇多田ヒカルさんが活動を再開しました。

宇多田ヒカルさんは同い年、もちろんモロに聞き込んでいたミュージシャンです。出てきたときは本当に天才っているんだなと思いましたが、その後彼女もいろいろあったようで。。。

 

昨年はFantômeというアルバムをリリース。

なんというか、人間こうして音楽とともに変わっていくのを、歌う側も、そしてそれを聴く側も感じていくのだなあと、いとあわれに思ったものでした。

そして、このアルバムの中に、あの椎名林檎さんとのコラボソング「二時間だけのバカンス」が入っていたので、びっくりしたのです。

しかも、これ、すごい名曲だと思うんですよね。いや、あの二人がまともに組み合ったらそりゃ名曲になるでしょうが。なんというか、二人の人生とそれぞれの境遇とが、互いにシンパシーしあうことで、それぞれ一対の応援ソングになっているような、あるいは自分たちへの哀歌にもなっているような、明るい曲調のわりにはけっこう切ない曲になっています。

女性のツインボーカルが好きな僕としては、久々にクリティカルヒットをくらった一曲になりました。

PVのほうは、曲調とぜんぜん合っていないように思うんでちょっと残念なんですが。

 

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毎度、なにか関係ない話で前置きするのが、僕のよくわからない文癖ですが、最近「田舎暮らし論」みたいなものをまとめてみようかと、思い始めております。

というのも、星空の家にて【「仕事」と「暮らし」のカウンセリング】を妻と一緒に始めてから、これまでにたくさんの人と接してきて、そこでお話をしていくうちに自分の心のうちにある器の中に、ある種の蒸留液みたいな成分が溜まってきたからなのです。

最近、ホントけっこう頻繁にこのカウンセリングをやっておりまして(8月もすでに3件のご予約をいただいています)、そこで伺うお話やたずねられる質問もいくつかのパターンや傾向が見られることがわかってきました。

それに答えようと、いろいろな事例をご紹介したり、自分の経験や知見を元にお話させていただくわけですが、田舎暮らしのはじめ方は人それぞれであって良いし、田舎暮らしの方法論など一様に同じである必要はまったくないのですが、それでも、僕らのような都会から田舎に移り住み、豊富な財力もまったくないなかで自分達で何かを始めるしかなく、特段すごい才能もない人間でも、別に田舎暮らしを楽しむことができることを理解してもらえるように、ある程度の理論武装を行うことも必要かと思い始めたわけです。

きっとその方が、カウンセリングを受けてくれる人にとっても説得力があり、また田舎暮らしを始めたいと思える安心感にもつながるでしょう。

さて、そんなことで未熟ながらも田舎暮らし論などを展開してみようと思うのですが、

第1回のテーマはこれ

 

「普通の会社員な私が田舎暮らしできるのか?」

 

いやあ、表現方法は違えど非常に多いのがこの質問というか、不安が募って出てくるこの言葉です。

この「普通」という考え方、実は日本の現代的な病につながっている気がするんですが、とにかく今の日本では田舎暮らしを始めることになにか「普通ではない」ものを感じてしまうようなのですね。

そして、「普通」の側にいる人たちが、「普通ではない」田舎暮らしを始めるなんてできるのか、と不安になるという構造を作ってしまっています

ただし、これは田舎暮らしをいままで推奨してきた側の人間と方法の問題点もあります。

いまでは田舎暮らしに関してたくさんの情報が世の中に出回るようになり、移住者の成功ストーリーもあふれかえるようになりました。

しかし、その成功ストーリーがある種のステレオタイプ的な流れを持っており、田舎における異能だったり、もともと大都市でも成功していたような人があえて田舎でビジネスを成功させるような話がもてはやされた結果、田舎への移住はなにか特殊なスキルや経験が必要なんじゃないかと、考える人が増えてしまったと思われます。

そしてさらに、田舎暮らしを始める前には、まずなにかしらの専門的な強みをもったり、それにつながるような経験を経なくてはならないと考えられるようになってきてしまったわけです。

もちろん、こうした考え方が間違っているわけではありません。都会だろうと田舎であろうと、特殊なスキルの持ち主は重宝されますし、スティーブジョブスのような人が移住したいという話であればそれを断るような自治体はないでしょう。

しかし、全国に5万といる野球少年たちが一度は夢見るプロ野球選手になるという夢も、本当にプロ野球選手になれる人はごくごく一部であるように、プロフェッショナリティが高い職業・仕事というのは元から門が狭いものです。

つまり、そうした人間になれる人は、「なりたい」と考える人のごく一部でしかないのです。

目指すか目指さないかは個人の完全な自由ではありますが、田舎がそんなプロフェッショナリティあふれる人で埋まっていることなどありえません。それはべつに都会でも同じ状況なのですが、なぜか都会の人は田舎暮らしの人を特殊なスキルがある人たちとみなしがちなんですよね。

 

ディズニーランドはひとりのミッキーをたくさんの普通の人が支えている

 

例えばの話で、考えてみて欲しいんですが、ディズニーランドがミッキーマウスであふれかえっていたら、みなさん行きたいと思いますか?

どこをみても、歌って踊れるミッキーミッキーミッキー。まあ、ある意味楽しいかも知れませんが(笑)、異常な空間であることは確かです。

ミッキーは歌って踊って、みんなに握手して愛想を振りまくのに忙しいのです。

ですので、飲食のお店はいっさいなしでおなかはぺこぺこに。誘導してくれるスタッフもいませんから迷子はそこらじゅうで泣きまくっていて、文句と怒鳴り声を上げている人もたくさんいる。掃除するスタッフもいませんから、場内はごみでちらかり放題で臭い。

どんなにたくさんミッキーがいたところで、こんなディズニーランド、僕は行きたいと思いませんね。

こう考えていくと、みんなディズニーランドにはミッキーを見に行くわけですが、ミッキーを支えているのはディズニーランドのごくごく普通のキャストの方々であり、スタッフの人々なのですよ。

当たり前といえば、当たり前なんですが、その当たり前があまりにも自然になってしまうと、そのありがたみを忘れてしまうのが人間の悲しい性なのかも知れません。

田舎でもまったく同じで、たくさんの普通の人が田舎の「普通」を支えていて、田舎は成り立っています。

 

都会と田舎では、田舎のほうがミッキーを見つけやすい

 

田舎が都会と決定的に違う点は、人の多さです。

東京渋谷のスクランブル交差点を上から見ていたときに、仮にその中にミッキーがいたとしても大半の人は気づかないでしょう。

しかし、田舎は人がまばらですから、ミッキーみたいな目立つ人はすぐに見つかってしまいます。

同じようなことが、いろいろなプロフェショナルにいえるんじゃないかと思うんですよね。

田舎では、なにかスキルであったり、特徴的なデザインやビジュアルであったり、ブランドがブランドとして認識されやすいという特徴があります。早い話が、要するに田舎で頭抜けたことをやると、人が少ないために、すぐに目立ってしまうのです

目立つと、よくも悪くも、田舎ではかならず話題になります。

この田舎の話題の伝播性というのは、本当に驚異的です。

大都市と比べたって、はるかに早い速度で話題が地域を駆け巡ります。

そして、それを聞きつけて、地域外の人もそんなにすごいなら行ってみようかという話になり、今度は逆に田舎のほうではあそこには東京からわざわざ人が訪れるなんてまた話題になったりします(笑)。

こうしたループがテレビや雑誌、新聞といったマスメディアの力を借りて、さらに話題性が上昇します。

このような流れにうまくのったひとたちが、現在田舎暮らしで全国に名を馳せる有名人になっていったわけです。

そして、そうした人々をテレビや雑誌、新聞や本などでみた田舎暮らしを夢見る「普通」の人がため息をつくのですから、世の中の流れというのは因果なものですよ、本当に。

 

田舎は普通の人がどんどん不足している

 

これははやく自治体の側も気づくべきなのですが、田舎はいま圧倒的に普通の人が不足しだしています。繰り返しますが、特殊なスキルを持った人ではなく、普通の人が不足しているのです。

いろいろな理由がもちろん考えられますが、一番決定的で最大の原因は、二十歳前後の成人が都会にどんどんとられてしまうことです。

いわゆる「若者」たちが高校を出たくらいから、田舎から出て行ってしまう。そのため、地域のさまざまな力が昔に比べてどんどん地盤沈下してしまっています。

しまいには、若ければ誰でも良い、というレベルにまで田舎の力はいまや落ちてしまっているのです。

本当は田舎サイドの仕事であっても、さまざまな能力やスキルを必要とするんです。そうした「昔の人であれば普通に誰でもできた」という田舎サイドの仕事は、しかしいまとなっては人が少なくなりすぎて、普通ではなくなってしまいました。このあたり、田舎の「伝承」におけるプロセスが属人的でありすぎ、都会の大企業のようにマニュアルベースで「仕事」のスキルやノウハウが伝承されにくかったということも深く関係してくるんですが、今日はその話はテーマがずれるので置きましょう。

話を戻すと、たくさんの普通の人が支えていた普通の田舎は、いま普通の人がいなくなってしまったせいで崩壊に向かっています。

房総でも僕はいろいろな事業者さんとお会いして話を聞いてきたつもりですが、房総で先進気鋭のビジネスを展開しているような地元の人々が一様に口をそろえて言うのが、この人の問題です。

もっともっとビジネスを拡大したい、成長させたいと思っていても、「普通」に働いてくれる若者があまりにも少なくなってしまって、ビジネスチャンスを逃すようにすらなってしまっています。

ようするに「求む普通の人」という状態なのです

 

都会の普通の人=田舎の普通の人、ではない

 

さてさて、ここまで話をしてくると、じゃあ都会の普通の人にも大チャンスじゃーん!ウヒョー!となりそうですが、そうは問屋がおろしません。そんな簡単な話だったらとっくのとうにたくさんの人が移住していることでしょう。

むしろ、僕が問題を提起したいのはここから!というくらい、おおきな問題が、「都会の普通の人」と「田舎の普通」の間には横たわっています。

それは、田舎の求める「普通の人」は都会の「普通の人」ではないし、都会の人が思っている「自分は普通」は田舎にとっては「オーバースペック」もしくは「畑違い」に思える場合が多いということです

 

ここからは具体的に、たとえを交えて説明していきましょう。

東京か東京の近郊育ち、普通科の高校を卒業して、四年制の大学を卒業し、社員数百名以上の中堅企業や大企業に就職して、ある部署に配属され、一生懸命仕事をしている人を想像してみましょう。

大都市には、こういう人が数十万から数百万人いるはずです。

会社で決められた作法に従って、パソコンをぱちぱち打ち込み、会議に出席し、お客さんと打ち合わせを行い、案件を社内の関連する部署の人々に連絡を取り合って仕事をすすめていく、こうした一連のプロセスが、いわゆる大企業・中堅企業のサラリーマンの普通の働き方です。

もちろん覚えることもたくさんありますし、かかわる人も多くコミュニケーション能力も問われますが、基本的に中堅・大企業の仕事というのは、社内で決められたプロセスが存在し、一定のルールにのっとって仕事をこなしていきます。
ですからルーティンワークをいかに効率よくこなしていくか、その要領の良さを問われるような働き方が会社から人に求められます。

上司には報告・連絡・相談をしっかりすること、電話やメールは早く返すこと、一人で決めず回りに相談しながら仕事を進めること、こういうことをうまくやってもらわないと、大きな会社組織というのは、とても回らないのです。

まあ大半の人が仕事と会社に慣れていくうちに、こういうことが一定程度うまくまわせるようになっていきますが、なかにはこのままの自分でいいんだろうか、会社の歯車で終わってしまっていいのだろうか、とそのことを疑問に感じ始めてしまうような人が出てくるんです。人間の不思議で。

そして、会社の一部分・組織の歯車のひとつである自分に疑問を感じて、その状態に不安と不満を感じた人の多くが、いま、田舎を目指してやってくるのです。

 

自分は普通の人と思いながら。

 

ここで、はっきり言っておかなくてはならないんですが、田舎では、そんな人普通ではありません!NOT普通なのです。

大都市に集中している大きな企業組織というのは、大都市特有のもので、大企業そのものがないか少ない田舎ではそうした働き方と仕事の進め方がレアなのです。

ここに、さきほどから申し上げている、田舎の思っている「普通の人」と、都会から来る自分は「普通の人」と思っている間に、巨大なギャップが誕生するのです。

要するに都会の普通の人は、田舎における普通の人ではないんですよ。

だからこそ、田舎サイドの人にとって、都会から来る「普通の人」はどうにも「オーバースペック」に見えたり、「畑違い」に見えてしまったりするのです。

これが、いま一番大きなギャップであり、ミスマッチが起きている原因だろうと僕は考えています。

そして、この問題を解決していかないかぎり、田舎暮らしを都会の人々がはじめる社会的な本流にはいつまでもならないだろうとも。

 

田舎サイドで求められる普通の人とは、経営者と苦楽をともにしてくれる人

 

では逆に、田舎サイドで求められている「普通の人」ってどんな人なんでしょうか。

これを統計的に正確にとらえることは難しいです。

実際、田舎の側にも無数の企業や工場、事業者が存在します。

大企業といかないまでも社員数百名以下の中小企業くらいなら田舎にも少なからずたくさんあります。

ここでは、僕が今まで見たり聴いたりしてお会いしている田舎サイドの経営者・事業者の人々の意見を総合して所感を述べますが、必ずしも田舎サイドの全部を代表しているわけではないことはあらかじめ注意ねがいます。特に成長フェーズにあるような企業・事業者の話が多く、安定的な銀行・郵便局・農協などの企業・組織の類の話ではありません。

さて、そうしたところで求められる人材像を想像していくに、要するに経営者と苦楽をともにしてくれる人、困難を一緒に乗り越えてくれる人を、「普通の人」の中に求めているように考えています。

必ずしも、能力であったり、スキルであったり、あるいは経験ではないことに、着目が必要です。

この視点が抜けていると、「なんでそんなことまで自分がしなくてはいけないのか?」と思ってしまうような場面に、都会の普通のサラリーマンだったひとはぶつかってしまうのではないかと思います。

「だれかいい人いないかな?」と経営者が求める人物像は、都会の人でももちろんOKなのですが、本当に一番求めているのは、都会の大企業で培った経験やノウハウなんかではなく、いま目の前にある経営課題に向かって全力で一緒に取り組んでもらえるかどうか、一緒に困難を乗り越えてくれるか、そういうところなんじゃないかと思うのです。

はじめから、「わたしはこれしかできません」と言ってくる都会の普通の人は、地元の事業者にとって、けっこう使いづらいことが多いのではないかと思ったりもします。

あるいは、田舎では人のつながりだったり、地域とのかかわりであったりが、ビジネスに深く関係してきます。だからこそ、地域行事に地元の企業の経営者は非常に熱心に協力しますし、一見ビジネスには関係なさそうな人との係わり合いもとても大切にしていたりします。

そこに都会の人がやってきて、仕事は仕事、プライベートは一切関係なしという態度だと、やはり一緒にやっていくというところで難しいなと感じてしまうかもしれません。都会では、仕事が終わって会社から一歩出てしまえば解放されて後は自由ですが、田舎ではそんなにオン・オフが明確でないこともいっぱいあります。そのときに、「なんで自分がそんなことまでやらないといけないの?」と考えてしまうような人だと、実際田舎サイドで自分でビジネスを始めたとしても厳しいかもしれません。

ある意味、都会はドライなやり方が通用する居心地の良い環境なのかもしれません。田舎サイドでは、それに比べると「やってもらいたいこと」の仕事の幅がかなり広くて、仕事のやり方も決まっていないことが多く、決断は経営者にゆだねられていて、あやふやで、かつしごとのことあるごとに濃密なコミュニケーションを求められるようなシーンが多々あるのです。

もちろん、ビジネススキルを磨いたりすることも重要ですが、「普通の人」においても経営者や他の従業員と団結して困難を乗り越えていくんだっていうある種のスタイルみたいなものを身につけていく必要がとてもあるように思います。

 

都会の普通の人が、田舎で求められる普通の人になれるのか

 

今回のテーマでここが一番重要なポイントですが、都会の普通の人が、田舎で求められる普通の人になれるのでしょうか。

答えは明確にYESです。

ただし、本人の心がけ次第では。

いままで、いすみに限らず日本全国のさまざまな地域でいろいろな人の移住を見てきましたが、移住してうまくやっているような人は、大概が田舎にあわせて自分をうまくトランスファー(変身)させた人たちです。

このトランスファーは、能力やスキルの問題ではなく、心がけの問題です。

せっかく田舎に来たんだから、今までの自分からもうひとつ生まれ変わって成長してやろう、そういう風に自然と思える人は見ていてやっぱり田舎でも強いのです。田舎サイドの人たちも、応援してくれたり、味方になってくれる人が多いことでしょう。

逆に、自分という人間が凝り固まっており、田舎に自分の理想を持ち込みすぎる人は、失敗するパターンも少なからず見てきていますし、生きづらそうにしていることもままあります。

「こだわりを持つな」と言っているわけではないんです。むしろ、せっかく田舎に来たんだったら、好きなことをやって欲しいと僕も思います。

しかし、環境が激変しているのに、自分がなにも変わらないような人は、やっぱり環境の変化に耐え切れずに体と精神が悲鳴をあげてしまうのです。

心がけひとつとってもやはり環境適応には非常に重要なことだろうと僕は思います。

自分は「普通の人」だからと、その「普通」である自分を何も変えようとしないのは、どこか自分の中で自分は普通だからと檻をつくって自分を閉じ込めて、そして自分を安心させている臆病さとずる賢さを含有しているのです。

むしろ、「普通の人」を極めたいんであれば、田舎の思っている「普通の人」になりきってみるくらいが、「普通の人」としてプライドのある姿ではないでしょうか。

もちろん、そんな普通の人たちだって、田舎では楽しそうに輝き仕事を楽しんでいる人たちがたくさんいます。じつはそういう普通の人が、普通に楽しく暮らせることこそ、田舎の強みだったりするんじゃないと、僕は思ったりもするのです。

まあ、だからこそ、普通の人でも田舎暮らしを楽しんでやれるということを、もっとここいすみで実証していけるように僕らもがんばらなくてはいけないなあとも思っています。

(良)

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