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家に「水がつく」かどうか、知らないでいることの危険性


こんにちは、星空スペース店長です。

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これはイメージ写真です

さる9月28日のこと、いすみ市をはじめとする房総一帯が稀に見る大雨に襲われました。

そして、いすみ市の僕らが暮らしている地域には「避難指示」が発令されました。それくらいすさまじい雨でした。

幸い大きな河川の氾濫はありませんでしたが、傾斜地は滝のような水が流れ、低地にはあふれ出した水で小さな湖沼がそこかしこにできていました。

 

2013年だからもう4年近く前のことになってしまいますが、いすみ市から離れていない茂原市という地域で、河川が氾濫し町が水に浸かってしまう出来事がありました。

局所的にひどかったため、全国ニュースではあまり報道されなかったのですが、僕も直接被害を目の当たりにしたため、当時の茂原市の惨状は今でも忘れることができません。

参考までにどんな状況だったのか、こちらのまとめサイトの情報がよく伝えてくれます。

【台風26号】マスコミがほぼ報じていない一宮川氾濫による千葉県茂原市市街地の浸水被害のまとめ

農業においては、雨水というのは欠くことのできない必要なものでもあるんですが、同時に天災レベルの大雨が降ったときには、すべてのものを飲み込み洗い流してしまう存在にもなるので、洪水になるような雨というのは心底怖ろしいと感じます。

 

そういえば、今回の大雨の跡を見ていて思い出したのですが。

 

最近は、地元の方々ともいろいろな場面で親しくさせてもらっているので、いすみ市のことや地域のことをいろいろな場面で聞く機会があります。

地域を案内してもらうこともけっこうあるんですが、先祖代々地域に住み続けられているような地元の方が時々「みずがつく」という表現をすることがあるんです。

 

「あそこの家は昔、みずがついたところだから・・・」といった感じ話をしてくれます。

水が付く、水が着く、両面の意味から使っているんだと思われますが、とにかく家が水に浸かってしまう状況を指し示しているようです。

 

地元の人はどこに水が流れていくのか、そしてどこに水が溜まりやすいのか、ちゃーんとわかっているんですよね。

昔の農業は水をいかに操るかが成功の可否を決定的に握っていましたし、里山の地域的な団結は「治水」と密接に関係していたことなどが理由に挙げられるんだと思います。

だから、地元の人ほど「みずがつく」おそれのない、ずっと安心して住み続けられる場所に住もうとするのです。

そういうところは丘陵地になったり、多少山襞の中になったりしますから、どうしても他の住環境の要素を犠牲にせざるを得ないはずなのですが、やはり多少不便になったとしても、家が浸水したり水にすべてを流される怖さ恐ろしさを知っているからこそ、安心と安全を優先して考えておられるのです。

一方で、移住者はその辺の事情がなかなかわかりづらいという別の問題があります。
一応、いまはハザードマップみたいなものも整備はされていますし、家の地目でも突出して危険な場所は行政も注意喚起をするなど対策はされています。

しかし、本質的に「水の怖さ」を知らない移住者は水のおそろしさをなめてしまいがちです。

だから、景色がよいというだけで、海際、河口付近、湖沼のほとり、四方を広々と見渡せるような低層地を好んで住んでしまったりします。

もちろん、そういった怖さ恐ろしさもわかった上で覚悟して住んでいるのであれば、対策をしっかりととれば良いわけで、まだ大丈夫だと思うんですが、そんな覚悟もなく、ましてや水のおそろしさを知らない、地元の人々の話も聴かないという人は、本当に死ぬことすらあるような手痛い目に遭ってしまうかもしれません。

まあ、そういう痛い目を見ないと人間学ばないということも真理の一つとしてあるんでしょうが、なんかものすごい条件がよさそうなのに不思議と家が建っていないという場所は、やはり地元の人が忌避する理由があったりするので、一生ものの「家」という存在ですから、家の周りの環境や今までの地域の自然災害についても、少しは調べてみたり、地元の人に話しを伺ってみたりするべきだろうと思います。

昔は、家から家へ、もしくは地域の寄り合いの中でそうした情報共有がなされてきたのでしょうが、移住政策を勧めていくとその地域に縁もゆかりもなかった人が、感覚と印象に惹かれて移住を決めてしまう時代になってしまっているので、そうした人々に少しでも情報が伝わっていくように、わたし達移住者の先達組もできることをしたほうが良いのだろうと思っています。

(良)