星空スペース

「人を良くする」食というお仕事

毎度どーも星空スペース店長です。

写真

こちらはちょいと前に撮った星空の家の梅の写真。いまではすでにこちらの梅も満開に近い状態になっています。

今年の冬は寒さ厳しく、例年に比べても「春が待ち遠しいなあ」と思う日々でしたが、梅も同じように考えていたんですかね。

最近の暖かい南風に呼応するかのように、咲き乱れる梅の花を見るごとに、春の訪れを一緒に歌いたくなります。

 

さて今日は、なぜ僕が、会社員時代には食とは無縁の仕事をしていたのに、今は料理人となって「食」を人様に提供するようになったのか、その動機となる思いを書いてみたいと思います。

ちなみによく聞かれるんですが、僕はアルバイトとして調理場に立っていた経験は多くあるものの、シェフとして雇われたことはありませんし、料理は独学独習で学んだ部分がほとんどです。
(このあたりのことは以前にブログでも書きましたね。参考「飲食業はなぜブラック化するのか」)

 

料理するのは大好きですし、向いているんだろうなあとは思います。

しかし、料理人となって対価を頂き「食」を人に提供する、そのことを僕が「やりたいこと」「やるべきこと」「やらなくてはいけないこと」と認識したのは、ある言葉のおかげでした。

昔の僕は東京都内で頻繁にワークショップやセミナー系のイベントを開催しておりました。

そんなある日、都内の某レストラン(今は残念ながら存在しません)で、講演会をやったときのことです。

その講師にあたっていた人が、話の中で何気なく言った一言が僕の胸を貫通し、僕はカミナリで打たれたかのようにものすごいショックを受けたのでした。

その一言というのは

「食」という字は人を良くすると書きます。
だから、食は人を良くするものでないといけないんですよ

という言葉でした。

食は人を良くする

食は人を良くする

食は人を良くする

この言葉は今も変わらずに僕の頭の中を響き続けています。

 

ちょっと時間軸をさらに遡って・・・

911事件やその後に続いたアフガン紛争に触発されて、大学時代の僕は国際紛争をテーマに勉強・研究を行っていました。国際紛争を解決し、世界をちょっとでも平和に導く手段を探していました。そうこうするうちに、国際紛争の背景には貧困問題が横たわっていることに気づかされ、今度は「開発経済(学)」というジャンルを研究するようになります。

当時、開発経済は雇用の確保を中心問題としていたため、僕は「雇用」を増やせるような仕事がしたいなあと思っていたところ、それならと友人からコンサルティング会社を勧められたので、受けてみたらとても面白そうな会社だったのでそこに就職することにしたのでした。

コンサルタントとして大企業に赴いて、その会社が困っていることや解決したい問題を一緒になって解決していき、その会社の業績が向上するように会社の仕組みを変えたり整えたりしていくのが僕の仕事でした。大企業の中の仕組みというのは、非常に精緻かつ巧妙に出来ていて、僕は社会の仕組みの一端を知った気になって無我夢中で仕事をしていました。あの当時は本当に良く働いていたと自分でも思います。

仕事も面白かったし、知的好奇心も満たされていたんですが、しかし、なにか自分の中で違うなと思うことが多くて、僕はよく旅行に出ては飲み歩きしていたのでした。

その後、いろいろあって会社員をやめて独立し、今度は僕は「地域活性化」というジャンルに光明を見出します。過疎化した農村や漁村であっても、なにか人間的な豊かさを感じられる田舎の良さに心が惹かれたんだと思います。

しかしここでも、この「地域活性化」という文脈において、最大の問題は地域にどうやって「しごと」をつくるかということでした。工場での労働や大企業の誘致など使い古された手法にも限界を感じていた僕は、何か答えがないのか、それを悶々と探す毎日を送っていました。そうしていたところ、上記の言葉に出会ったのです。

食は人を良くする

つまり、食というしごとは「人を良くするしごと」ということになります。

人を良くする

シンプルに、これこそ、僕が求める答えでした。

誰も傷つけない正義、誰もが幸せになれる方向性です。

ならば、僕は「食」をしごとにしようと心もすっきりと軽くなって決心することができたのです。

 

話は飛びますが、食というのにもいろいろな段階があると思います。

まず、食欲を満たすための「食」です。

これは飢餓と戦い続けた人類の歴史そのものです。食わないと人間は死んでしまうのですから、どうしたら食っていけるか、それを悩み続けるのが長い間人類に共通する課題でした。過去形にしていますが、もちろん今でもです。

次に、美食的な意味での「食」です。

美味しいご飯を食べると人は幸せな気分になります。生活に余裕が出てくると、たいていの人間は美食に走り、贅沢をしたいという気分になります。これを満たすのが通常、料理人と言われる人々のしごとになります。

そして、最後にこれからの人類の課題でもある「人を良くする」食です。

では「人を良くする」ってどういうことか?

これは、あえて反対の概念を考えてみると、もう少しわかりやすくなるんじゃないかと思います。

人を良くする「食」があるとしたら、人を悪くする「食」というものもあるかもしれません

仮に僕はこれを「人+悪」という漢字で考えてみました。

人を良くするしごと

わかりやすく、将棋に例えて図式化するとこんな感じです。

 

いま、世界は「人を良くする」軍勢と「人を悪くする」軍勢に分かれて戦いあっていると思ってください

あるものを食べ続けると、人はみな癌や生活習慣病になって病気になって死んでいきます。

あるものを食べ続けると、農家の人々が困って地域の経済が立ち行かなくなります。

あるものを食べ続けると、それが遠くの国の人々を戦争に駆り立てます。

あるものを食べ続けると、地球から森林が消失し、殺虫剤などの農薬のせいで生態系が破壊され、自然環境が汚されます。

他にもまだ解明されていないだけで、人を自殺に追いやったり、ストレスで頭をおかしくしたり、家族を崩壊させるようなこともあるかも知れません。

「人を悪くする」食というのはこういう要素を含んでいるものです。

具体的に事例を挙げなくても、これを読んでいる皆様にも思い当たる節があるんじゃないかと思います。

 

「人を良くする」食は、上に上げた「人を悪くする」食に対抗するものです。

ものすごく自然で当たり前のことですが、しばしば人が忘れることは、人は食べることを通して自分を組成します。自分という存在はあなたが食べてきたものの集合体なんです。

であるならば、

「人を悪くする」ものを食べると「人を悪くする」

「人を良くする」ものを食べると「人を良くする」

とも考えられないでしょうか?

 

現代社会で、人が悪くなっている、表現を変えると、どこかが悪い人が増えているとしたら、それは食に原因の一つがあることが多く確認されています。

ならば、「人を良くする」食の本当の姿を追及し、人にそれを提供する、そのことこそ現代において求められていることなのではないかと僕は思うんです。

だからこそ、「人を良くする」食を提供したいと僕は思って、それを自分の仕事にすることにしました。

もちろん、まだまだ自分の理想に届いているわけではありませんが、少なくとも星空スペースに訪れてくださっている皆さんが「良く」なってくれるように願って、日々の仕込みをやっています。

まだまだ「人を良くする」ための食の探求は続きますが、自分の周りにもそういう仲間がどんどん増えていっているので、お互いに学び切磋琢磨し合って、身近なところから少しずつ、この「人を良くする」食の輪(和)を広げていきたいと考えています。

 

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なお、蛇足ながら注釈として。

「食」という漢字の起こり・発祥は、「人」を「良くする」という文字に起因したものではないと考えられています。
まあ、今回の話は文字ずらから受ける印象としてという話ということで、漢字の起源を説明したものではないのでご注意ください。