星空スペース

本当の意味のクリエイターが集まる場所になれば・・・

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先日、星空スペースを営業していて、自分がやりたかったことがまたひとつ実現できました。

とある事情で印刷物のデザイナーを探していたお客様が星空スペースにいらしてくださり、話を伺っているといすみ地域にちょうど良いデザイナーさんの存在を思い至りました。

そこで、そのデザイナーさんをお客様に紹介したところ、ご縁がつながったのです。

しかも、初めての商談を星空スペースで行ってくれるというおまけつきです。
デザイナーを探していたお客様も喜んでくれ、地域で回る仕事がひとつ生まれ、そして星空スペースも商談で使ってもらって経済的に潤いました。

千葉県いすみ市は広大な面積の割りには人口が4万人を切ってしまっている小さな経済地域といえるかもしれません。
いわゆる典型的な田舎まちというやつです。

しかし、そんないすみ地域に魅力を感じ、集まるクリエイティブな人々がどんどん増えてきています。

だからこそ、星空スペースはそんなクリエイターの人々とそれを求めるニーズとが合わさる交点を作り出し、さらに仕事を生み出すポータル・ハブ装置になりたいと強く考えております。

しかも、いつだって稀有壮大なことばっかり言ってすいませんが、私の本当の本当に目指していることは、東京などの域外都市部からニーズを引っ張ってきて、それをいすみ地域のクリエイターが仕事として引き受ける姿です。
それを星空スペースという場所が引き受けられればなんて考えたりしています。

 

クリエイティブな発想は、田舎から都会に流れる時代は終わり、辺境の開拓者たちが切り開く時代がまた到来する、

これから必ずそういう時代になると私は思っておりますし、逆にそういう時代にしていかなくてはならないとも思っています。

 

クリエイター(creator)という言葉は本来の文化的意味で言えば、世界の創造者つまり「神」のことです。

それが転じて、世の中に革新的なモノやサービス、アイデアやエンターテイメントを提供できる人をクリエイターと呼ぶようになりました。

だからこそ、クリエイターたるクリエイティブな発想というのは「新しい」ものでなくてはなりません。

 

しかし、都市部にはイミテーション(模倣物)が増えすぎ、しかもイミテーション複製方法がマニュアル化され、デザイナーやアーティストはイミテーター(模倣者)になるように環境的に仕向けられるようになってしまいました。

デザイナーはデザイン学校に、アニメーターはアニメーション学校に、公務員は官僚学校に・・・といった具合に、ある時代の成功体験を「モノマネ」的に教え込む教育や環境が行き過ぎたせいで、都市部には真似するだけで平均点を取れる安心感に包まれた人間が多くなりすぎてしまったのです。

脱線しますが、本来的に教育とは破壊的イノベーションを伴うものであり、現代を超えるために次世代を教育するのであり、モノマネを奨励する現代の教育システムそのものこそ問題であるともいえます。実は国づくりなんて、最高にクリエイティブな仕事ですが、模倣ばかりで、自分の頭で新しいことを生み出すことのできるのはほんのごくわずかの人です。

 

一方で、地域(いなかサイド)には現代社会から見捨てられ、見放された素材が、クリエイターの自由きままさを寛容するまでにそこら中に転がるようになってきました。

自由な発想を産む余地(余白)と、見捨てられた素材こそ、本当のクリエイターが生まれる土壌でしょう。

だからこそ、これからは地域の側にクリエイティブな発想のネタが転がっているんだといえますし、逆に常に「新しさ」に飢えている人々は、すでに田舎に入り込んできていますね。

 

時代は回り、また繰り返す。(英語ではHistory repeats itself. と言います)

クリエイティブな発想が、都市部に集まったり、あるいは都市部から逃れ辺境に拡散していくのは歴史をみると如実に観察することができます。

そして、昭和の終わりまでは都市部に集まる歴史、そしてこれからは辺境に拡散する時代です。

 

そういえば、僕がいすみに移住してきて大いに励まされたことがあるんです。

それは、星空の家の本当にすぐ近くにある裏山に、夢窓疎石国師がなんと一時期住み着いていたことでした。

 

夢窓疎石は、日本が世界に誇る最高のランドスケープデザイナーであり、本当の意味で時代を創ったクリエイターでした。

夢想疎石という人の名前は知らずとも、世界遺産の京都の苔寺「西芳寺」、京都五山の筆頭京都嵯峨嵐山の「天龍寺」といえば、だれだってあ~ってなるでしょう。

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京都の天龍寺、wikipedia より

700年経った今も、日本のみならずか、最近は世界中から万という人を呼び寄せるあの庭園の総合芸術の礎を築いたのが夢想疎石に他なりません。どれほど多くの経済効果を生んでいるのか、恐ろしくなるほどです。

「国師」というのは、天皇から贈られる当時の先生の最高の称号で、そんな人が、星空の家のすぐ真裏に住んでいたのです。

しかも、さらにすごいのは夢窓国師は48歳からいすみに住み始めていたのですが、当時の天皇からたびたびしつこく上京してその優れた知見を京都で発揮してくれるように頼まれるのですが、何度も断っていすみに住み続けているのです。

当時の天皇・・・って誰だろうと知ってびっくり、なんとあの後醍醐天皇です。
このあたりのすごさは日本史に詳しい人でないと十分に伝わらないでしょうが。

ドラゴンボールに例えれば、フリーザクラスと言えばわかってもらえるでしょうか。

天皇は今上の陛下で125代目ですが、記録にしっかり残っている天皇のうち、日本史の中で最高MAXに鬼神のごとき大活躍をした人といえば、間違いなく後醍醐天皇でしょう。
私が大河ドラマを作るのであれば、ぜひこの後醍醐天皇を主人公にしたい、そんな大人物です。

もちろん性格も強烈な後醍醐天皇ですから、そんな天皇の招請をむやみに断れば、本当の意味で首が飛びます。

普通の人であればガクブルの状況においても、隠居を理由に断り続けた夢窓疎石さんには、いすみに住み続ける何かしらの理由があったんでしょう。

そして、しょうがなく京都に赴いてからは、歴史に燦然と輝くランドスケープを持った庭園芸術を猛然と発信し始めるんですから、彼の頭の中にインスピレーションを与えた何かしらの要素が、いすみという片田舎にあったのではないかと考えるのも楽しいものです。

夢窓疎石がいすみにいるときに詠んだ歌が今でも残っていて、私はその雰囲気がとても気に入っています。

めずらしく 住みなす山の いほりにも 心とむれば うき世とぞなる

 

脱線ついでに話が長くなってしまいましたが、再び夢窓疎石のような人がいすみから出ないとも限りません。

天龍寺の庭が、自然と調和した最高の芸術といわれるように、自然と長く向き合ったものにこそ、新しいものが見えてくるものかもしれませんよね。

自然がばっちりたくさんあるいすみであればその可能性たるや小さくは無いでしょう。

だからこそ、本当のクリエイターが集まり、交わる場所を作っていく、星空スペースがそんな場所になればいいなあと考えているわけです。

(良)