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遺品が語る20世紀の戦争展@睦沢町立歴史民俗資料館


毎度どーも、星空スペース店長です。

僕は歴史が大好きなので、地味にこつこつと房総の歴史を集めて回っています。

いま、睦沢町にある睦沢町立歴史民俗資料館で、楽しいわけでもないし一般受けするわけでもないのでお勧めというわけでもないんですが、僕が興味がそそられた特別展がやっているのでご紹介しておきましょう。

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睦沢町立歴史民俗資料館 「遺品が語る20世紀の戦争展」

この展示会、遺品を通して戦争を考えるという内容で、目の前にある手紙やら遺品の数々やらを見ていると、戦争で亡くなった兵士が“生きていた”時に考えたことに思いをめぐらせて、胸にこみ上げるものがあったりします。

実はこの展示会に僕が行ったのには理由がありました。

それは、睦沢町(房総)から出征した人々の情報を探す手がかりを見つけるため。

思えば、19世紀から20世紀という時代は、もともと兵士じゃなかった人が兵士になって戦争に出かけるというおかしな時代でした。

ちょっと考えてみてください。たとえば鎌倉時代から江戸時代まででもいいんですが、戦争に行くのは武士(それに類する人々)のしごとだったわけです。

織田信長軍だったら、基本的には「織田信長さんのために戦いたい」っていう人が兵士になって戦う。徳川家康軍だったら、あくまで「徳川家康さんのために戦う」っていう人が集まってきたわけです。

ところが、この企画展で出てくるんですが、1877年西郷隆盛(いま大河ドラマでやっている「西郷どん」のことですよ)が起こした反乱である西南戦争に、実は睦沢町の人々がわざわざ九州の熊本まで赴いて、そして彼の地で西郷軍と戦って戦死しているんです。

およそ、睦沢町の人々が西郷隆盛の反乱に直接何か関係しているという可能性は低そうですが、このころには明治政府のもと国民徴兵制が敷かれて、国家に命じられて睦沢町の人々が熊本まで行っているんです。

なぜ、睦沢町の人々が熊本まで行って戦死したのか、それを考えていくと、国家と国民という仕組みの大本まで考えていくことになります。

そして、その構図は基本的に1945年の終戦まで変わらず。

睦沢町からある人は中国まで行き、ある人はロシアまで行き、そしてある人は東南アジアの密林にまで行かされる羽目になります。

こうした仕組みはなぜできたのか。そして、その仕組みに対して人々はどう思っていたのか、どう対処したのか。

僕はそのことに興味があります。

ある意味、兵役というのは国家の形をあらわす一番の要素かもしれません。

ある国では兵士とは王様の私兵を意味し、ある国では兵士とは成人の大人の義務を意味し、そしてまたある国では建前上兵士は存在しないということになっていたりします。

そして、そうした仕組みや体制がなぜできているのかを紐解いていくと、必ず国家の大本と結びついています。

兵役を考えることがイコール国家の大本が何であるのかを考えることだとすると、戦争がなぜ起きるのか、そして人類は戦争に対してどのように向き合ってきたのかを理解する重要なヒントになってくれると思うのです。

そんなヒントは何も国家の調査機関や大学の図書館だけではなく、比較的自分たちの近くにも史料という形で残っているのです。

戦死者の遺品を見ながら同情するのもいいですが、そもそもなぜこの人は戦死する必要があったのか、そうした国家と国民の関係性を考える上でも、こうした企画展で展示されるアイテムたちは私たちにいろいろなことを教えてくれると僕は思っています。

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