毎度どーも、星空スペース店長です。
すっかり冷たい雨が降るようになってしまいましたね。夏がいたるところで洗い流されていくようです。今年はあんなに暑さに苦しんだのに、今は失恋したかのように夏を懐かしんでいるのだから、人間とは勝手なものですね。
さて、ちょっと前の話になるんですが、星空スペースに千葉大学に通う学生さんたちが訪問してくれたときのことを書いておきましょう。
現在、いすみ市と千葉大学は連携協定を結んで、地域活性化プロジェクトを進めています。そのプラットフォームとして「いすみがく(千葉大学coc+)」があり、いすみ市大原にある拠点を中心に千葉大学の学生たちが各種のアクションに取り組んでいます。
夏休み期間中でしたが、学生たちはクラスの一環として星空スペースならびに星空の家・星空の小さな図書館へ見学にきてくれたのでした。
実際に現場に行って、観て、感じる。この一連の動きというのはとても大事だと思っていまして、基本的に私たちは学生さんはオールウェルカムで歓迎しています。金銭的にはとても見合いませんが、十分な時間をとって学生たちに考えてもらう機会をできるかぎり作り出したいと思ってやっています。
まずは、星空の家・図書館や星空スペースを観てもらって、私たちの活動を説明しました。そして、その後は学生さんたちとの議論を行いました。
なんとなく、こんなことを書くとおっさんになったなあと思わざるを得ないのですが、僕は学生に死ぬほど考えさせたいと思っています。
文字通り、死ぬほど、考えさせたい。
極論ですが考えることで、死なせたいのです。別の言い方をすれば、生き方および死に方を考えさせたい。
それくらい事態は逼迫していて、危機的な状況なのですが、そのことはなかなか理解されません。
およそ170年前、日本にペリーが黒船に乗ってやってきたときには、状況があまりにも劇的であり、身体における痙攣作用のように、日本中の人々特に若者たちが多く死ぬほど苦しみました。そのときに書かれた多くの記録を読めばわかることなんですが、彼らは考えるほどに死ぬほど苦しみ、考えた結果を行動に移して、そして死んでいったのです。
アメリカ、イギリス、ロシア、フランスといった当時の欧米列強が日本にやってきた際には、日本への侵略、植民地にされるという恐怖から、攘夷運動へとつながり、そのエネルギーが革命運動になり、江戸徳川幕府の倒幕へとつながり、明治政府がつくられ近代国家の建国と成っていくわけですが、中心にいた人々は死ぬほど考えた人々でした。
そして、文字通り、考えた結果死んでいったんですよね。
確かに死んだんですが、それは彼らがどうやって生きたかの証でもある。
当時の中心にいた人々のあまりの若さに驚く人が多いんですが、政治的に有名どころだけでも列挙してみましょう。明治政府ができた年が1867-68年ですが、その年に彼らは何歳だったかというと
西郷隆盛 39歳
大久保利通 36歳
木戸孝允 33歳
伊藤博文 26歳
坂本龍馬 33歳(この年暗殺される)
ですよ。信じられますか。(ちなみに、西郷と大久保と木戸はこの約10年後に死にます)
そのときに、彼らはその年齢で古くなった国を壊して、新しい国を作ろうとしたんです。
もちろんその当時だって、40歳以上の人々はたくさんいたんです。しかし、新しい国を作ろうとした人々の中心は20歳代~30歳代の若者だった。当然、新しいことをやるから、なにもかも自分たちで考えて実行していかなくてはならない。だから、彼らは考えざるを得なかったんです。ひたすら考えてひたすら行動に移した。
考えて行動に移す。
なんとなく当たり前に思われるかもしれませんが、このことをなかなか人間はできない。生き物の仕組み的に、ずっと考え続けることってきっとエネルギーを浪費することで、それを防止するためにセーブされているんだと思います。さらに、考えて考えて考えても行動に移せないような人もいる。でもそれって本当に考えているのかっていう話でもあるんです。
まあとにかく、考えることというのは面倒くさくて大変なことなんですよね。
しかし、その面倒なことをやらなくてはいけないという一種の哲学が幕末に流行しました。それが陽明学です。
中国の儒学者である王陽明という人が唱えたことから、陽明学といわれるようになりました。
陽明学には「知行合一」という有名な言葉があります。
知行合一はよく誤解されるんですが、実践を重視せよという考え方ではありません。
たとえば、ここにチョコがあったとします。
もし、チョコを食べたことがない人は、チョコの味がわかりませんから、おいしいかおいしくないかもわかりません。
逆に、チョコを食べたことがあって、そのときチョコがおいしいと思った人は、チョコがおいしいということを知っています。
つまり、チョコがおいしいと「知っている」ということは、チョコを食べるという行為を「行って」いないと「知り」得ないことなんです。このことをあらわす言葉として、王陽明は「知行合一」と言ったんですね。
このことは当たり前のように思われるかも知れませんが、そうではありません。「チョコはおいしい」と誰か他の人が言っているのを聞いて、「私はチョコがおいしいと知っている」と思っている人がいたら、それは滑稽なことに思えますよね。
でも、実際の世の中では、そういうことって結構あふれているんですよ。いかにも「正しい」と思わせぶりで、実は誰かが言っていることを受け売りで言っているような人っていっぱいいますよね。
王陽明はこの「知行合一」をキーワードにして社会にどう関わるかということへの議論を深めていきます。
彼の陽明学は、「行う」ことを通して人間は「知る」ことができるのであり、「知っている」のに「行っていない」というのはこれはまだ「知らない」ということと同じであると説くのです。
ここに陽明学が実践を重視するといわれる所以(ゆえん:理由)があります。
純粋な自然科学分野には適用できませんが、社会科学の範疇にある学問は多くが「社会を良くしたい」という思いから出発しています。
政治学、法学、経済学、社会学、道徳哲学などなど、人間の社会をもっとよくしていくためにはどうしたらいいかを学者が日々議論しているわけなのですが、実際にそうした学問が本当に社会を良くするかどうかはやってみないとわかりませんよね。
社会を良くしたいという思いから学んでいる者は、自分の思っていること・考えていることが本当に社会を良くするのかやってみなくてはならない。
やってみて初めて「これは社会を良くする!」ということを知りえるのであって、やりもせずに「社会を良くする」とは言えないはずというのです。
このように陽明学はある意味非常に恐ろしいシャープな考え方を持っていて、理論と実践というのをセットで考えます。
実践を行うことなく、(他から聞いた)知識だけでものを言う人は、実践が伴っていない空論であると批判します。
また、ただ実践していて経験だけでものを言う人も、あなたは理論が伴っていない人だと批判します。
人は行いを通してものごとの真(本質)を知ることができる、だからこそ、物事の真(本質)を知るために人は実行しなくてはいけない。
この「知る=行う」ループをまわしていくことの重要性を説くのです。
幕末、陽明学の考え方が流行ったのには当時の若者たちがこうした「実践に基づく知」こそが、新しい時代を作っていくうえで重要と感じたからなのでしょう。そして、ひたすら考えてひたすら実行することに没頭した。だからこそ、あれだけの短期間にあれだけ多くのことを成しえたのでしょう。
いわば考えることが行うことと同義だった時代、死ぬまでに「これを成し遂げる=死ぬまでにこれを知る」ということを目標に、当時の志士たちは行動したのです。ちなみに、当時の文化人たちは『論語』を諳んじるのは当然の教養でしたから、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という孔子の言葉は強く胸に染み付いていたことでしょう。
翻って今の日本。
最初のほうに話は戻りますが、あの当時の人々がペリーが黒船に乗ってきて日本が侵略されるという危機感を感じたのと同じくらいの強さで、僕はいまの日本が国家として倒壊するという危機感を持っています。
というか、もうすでに倒壊は始まっていて、なんとか必死で食い止めているという状況だと思っています。
ジェンガというゲームがありますが、ちょうど今の日本はあんな感じだと思い浮かべてもらえればいいです。倒壊しないように倒壊しないように、なんとか負債を未来に先延ばしして上に載せているんですが、それをすればするほど、未来の倒壊が激しいものになるというこの矛盾をあのジェンガを思い浮かべることで理解できると思います。
もし、日本が近いうちに倒壊するとしたら、、、
倒壊した国の後で、新しい国を作る若者を今から育てておかなくてはなりません。だからこそ、若者がいすみで学ぶ機会を全力で応援したいと考えています。
(あ、ちなみに。残念ながら、僕は日本が倒壊することを防ぐことはもう無理、不可能と考えています。)
さて、地方創生、地域活性化の話題が毎日のように流れてきますが、本当に自分で考えて、行動し、そして道を知るということをやっている人がどれだけいるでしょうか。
知識だけ、もしくは実践だけ、という人ならたくさんいるかもしれない。あるいは受け売りで、どこかの誰かの成功事例をいかにも知った風でいう人もいるかもしれない。
しかし、理論と実践の両面から、未来に光(ビジョン)を映し出せるような人は、まだまだ多くはないのが実情です。
だからこそ、僕は今の学生さんたちに、この問題を死ぬほど考えさせたいと思っています。
今回、私たちのところに来てくれたのは千葉大学に通う学生さんたちでしたが、県外から千葉大学に入学した人も多くいました。
僕はまず、かまかけという意味も含めて、今の私たちが住んでいる集落でどれくらいの小学生がいるかを、学生さんたちに質問してみました。
学生さんたちは思い思いの数字を挙げましたが、全員まったくかすりもしませんでした。それどころか、一桁も数字をはずしていた。
つまりは、今のこの地域の現状がまったくわかっていないのです。
この地域の現状がわからずして、この地域の活性化に取り組もうというのですから、その蛮勇たるやほめたいところですが、これが千葉大学であっても現状です。
そういった調子で、(僕は学生たちに死ぬほど考えさせたいので)学生さんたちとの議論の中で、僕は学生さんからの意見を容赦なくぶったぎったり、答えに窮する質問をがんがんぶつけていきました。
たとえば、地域活性化といったお題目で、いまのいすみ市がゴールに掲げるべきこと・目標はなにか?ということを学生にぶつけてみました。
プロジェクトのゴール設定無しにスタートするのは、走る距離も決めずにマラソンをするようなものです。しかし、このゴールを決めないまま、あいまいなお題目でスタートしてしまう地域活性化プロジェクトがなんと多いことか。
しかし、やっぱり学生さんたちから出てくる答えも、たとえば国家が政策で言っていることの復唱であったり、あいまいな田舎の豊かさに準拠・依存した答えが多く、まだまだ死ぬほど考えるにはぜんぜん足りていないといえました。
ある学生さんは、最近流行ともいえる「小さな経済圏」を理想とする社会像を提起してきました。経済を外部依存することなく、お金を自分たちの生活圏で自立的・自律的にまわすとしたら、考えるべきモデルといえます。
だからこそ待ってましたとばかりに、そのモデルを出した瞬間にすかさず僕は
・いすみ市は現在、観光業に力を入れて、外部から観光客を招き入れそれによって新たに産業と雇用を作ろうとしている。言ってみればこれは外部経済依存の考え方だが、それと小さな経済圏が理想とする考え方は矛盾しないか
・田舎はクルマ社会であるが、いすみ市で自動車は作り出すことができない。同様のことは、パソコンや石油由来製品にもいえるが、こうしたものを買い入れると小さな経済圏は収支マイナスになるが、どうするのか?
といったことを、質問したところ、「小さな経済圏」提唱者の学生さんは黙ってしまいました。他の提案者さんたちも同様です。
まだまだ死ぬほど考えるにはぜんぜん足りていない。
こっちは、そんなことをもう何十回も何百回もぐるぐるぐるぐると考えているのです。
それでも答えが出ない。光が見えない。
僕もまだまだ考えが足りない。
だからこそ、考える頭を多くしないとならない。一緒に考える人を増やす必要がある。
知行合一で考えるならば、さらに実践をループに加えなくてはなりません。
考え、実行し、それをさらに検証し、世に公表する。
こうした一連の動きを、この光の見えない世界で一緒になって模索し行動し続けられる若者たちが必要なんです。
それがなければ、とてもじゃないが国家が倒壊したあとの世界なんか作り出せるわけがありません。
倒壊した後、絶望に打ちひしがれるだけの暗黒停滞期を迎えるのでは意味がないのです。
だから僕はめちゃくちゃ焦っています。ゆっくりなんかしていられない。
多くの学生さんたちにとっては、目先の単位であったり、就職先であったりが重要と感じるかもしれないのですが、そういったものもあくまで今の社会が前提としてあるから成り立つのです。
その社会の前提が崩壊したら、当然ながら就職先の会社もつぶれ、自分たちも生きられなくなるかもしれない。そういう危機が間近に迫っていることを感じ、ちょっとでも真剣に未来のことを考えられるように、その考える場としてのプラットフォームを私たちが用意できればと思っています。
というわけで、一緒に死ぬほど考えていただきたいと思ってはいますが、学生さんの見学視察はいつでも大歓迎です。
お気軽にご相談いただければと思います(笑)。