星空スペース

いすみに6軒目のチーズ工房(兼カフェ)Fromagerie Café haru のチーズharuを慶ぶ

毎度どーも、星空スペース店長です。

なんか最近駄文を書き連ねることに対して、ものすごく欲求が高まっているんですよね。

いつまでもつまらない文章を書き連ねていたい欲求に駆られるんです。秋だからでしょうか?今日だってほら。。。

 

みんなもよく使っているインターネット最大の百科事典wikipediaは、実は誰でも編集したり記述を追加したりすることができます。

そして、そのwikipediaの「いすみ市」の記述を読んでみますと、歴史―中世の項目にはこのように記述されています。

鎌倉時代末、禅僧として有名な夢窓疎石がこの地で隠棲生活を送った。夢窓疎石は建治元年(1275年)に伊勢国に生まれ、その後甲斐国に移り、9歳で出家、20歳で禅宗に入門し夢窓疎石と名乗り行脚に出て、全国各地を遍歴した。疎石は後醍醐天皇など7代の天皇上皇から帰依を受け国師号を賜り、足利尊氏直義兄弟ら時の権力者からも帰依を受けるなど当時を代表する名僧となり、鎌倉瑞泉寺甲斐恵林寺京都天龍寺などを開山する。また、作庭家としても有名で、開山した寺院以外にも、京都西芳寺などの庭を作庭している。元亨3年(1323年)1月、横須賀泊船庵から千町荘能実(いすみ市能実)の退耕庵に移り住み、正中2年(1325年)の秋、後醍醐天皇に請われ京都南禅寺の住持となるまでの約2年半、この地で隠棲生活を送る。長い修行の終着地が退耕庵だったと言える。現在も疎石が修行のため籠ったとされる坐禅窟(県指定史跡)が残り、奥壁には、疎石が自ら刻んだとされる「金毛窟」の刻銘が確認される。坐禅窟の前方には太高寺があり、疎石のものとされる袈裟2領(県指定文化財)が伝わっている。「能実」という地名は疎石が、この地に稲が能く実るようにという思いを込めて付けたと伝わる。

どなたが書いたのか知りませんか、グッジョブ!めちゃくちゃグッジョブです!

僕も最近、この夢窓疎石さんのことをめっちゃ調べているんですが、wikiにこうして過不足ない形で、記載されていて本当にうれしく思いました。

夢窓疎石国師がいすみに2年半滞在していたことを、これだけ詳細かつきっちり短い文章にまとめあげて記述されているのは心から賞賛するしかありません。

夢窓疎石(むそう そせき)

ぜひこのブログを読んでいる人にはこの名前を覚えてほしい。絶対に覚えて損しない。インディアンうそつかない。

そしてもし、海外に行ったりして、

日本で一番すごいアーティストは誰か?

と聞かれたらぜひ夢窓疎石と答えてほしい。

誰がなんと言おうと、僕がそれくらいのものすんごい人が日本にいたのだと保証します。いや、僕に保証されるまでもないんですが、あまりにも知名度が低すぎるのが惜しすぎる日本の大天才第1位が夢窓疎石さんなのです。第2位は俵屋宗達かな。。。

 

考えてみて下さい。

外国から日本にいらした人が行きたい場所で必ずランキングトップクラスに現れる古都京都。

この古都京都の景色で、必ずといってもいいほど掲載されるのが、嵯峨嵐山そして天龍寺。

この嵯峨嵐山の景色の素晴らしさに気づき、それを大胆に借景として庭を造り、後醍醐天皇ゆかりの禅寺として日本の一番の最高格をしめる天龍寺を作ったのが夢窓疎石さんなんです。

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写真はwikipedia から

日本史上最高のランドスケープデザイナーであり、アーティストであるのがと夢窓疎石といっても過言ではありません。本当にそれは過言でもなんでもなくて、うそだと思う人はブラタモリという番組の嵯峨嵐山の回をぜひ見てほしい。あの回は奇跡の回で、夢窓さんのあまりの構想力の大きさ、すごさに絶句しますよ。

いままでに、いったい何百万、何千万人下手すると歴史を振り返れば何億という人が京都を訪れたか知りませんが、もし夢窓さんがいなかったら、このうちの何割か削られていたかも知れません。そんなアート作品を作った人ってなかなかいません、ほんとに。

ちなみに天龍寺だけではなく、南禅寺や西芳寺もめっちゃ渋くて、寺社好きのみならず絶景好きにはここはホントお勧めです。京都は清水寺とか金閣寺とか、銀閣寺とか有名でまあいいんですが、そんな寺よりもランドスケープ的には、ぜひ夢窓さんの作品を見てもらいたいんですよね。

で、肝心なところは、その夢窓さんがいすみ市の能実に住んでいたというところ!

今までのは前振りです。

いすみ市の能実には、そう星空の家星空の小さな図書館があります。で、夢窓さんが住んでいたのは、星空の家の真裏の山なのです。

まず間違いなく、星空の家だったところに、夢窓さんいらしています

すごくない?これすごくない?

ちなみに、星空の家だったところには、昔ちょっと偉い人が住んでいたらしくて、「夷隅町史」という分厚~い歴史の本に出てきます。「能実館」として。

夷隅町史の216pに「夷隅町の城郭」という章があり、ここに能実館跡という項目があるので引用してみましょう。

能実館跡 能実の退耕庵跡の東約300mに中庄司・殿屋敷・殿前・輪之内の字名が並んで分布する。庄司は荘園の管理者(荘官)を意味し、輪之内も城館跡にともなう字名として残ることがある。これらの点から、この地に政所が置かれていた可能性が高い。そうであれば、能実は千町庄域に含まれており、千町庄の政所であろう。夢窓疎石の隠棲した退耕庵が近接するのも、千町庄が鎌倉二階堂氏の所領であった関係によるものと思われる。

 

日本最高のランドスケープデザイナーであり、禅僧の最高指導者「国師」の称号をもつ夢窓さんがなんでいすみにきていたのかは謎が多くて、それを調べるのがまた面白いと思っているんですが、とにかく夢窓さんは星空の家にゆかりのある人ということができるでしょう。

まあ、そんな興奮を皆さんにも共有したくて、wikipedia のいすみ市に夢窓さんの記述があるのがうれしくて、またつまらない文章を書き連ねてしまいました。

 

さて、今日の本題はここからなんですが、いすみ市にはなんと5軒もチーズ工房があるんです。

どうだすごいだろうと言っていたわけなんですが、なんと6軒目のチーズ工房&カフェまでできてしまったんです。

どうしたいすみ!チーズファンの聖地に本当になりつつあります。

そして、できたのがこちら。

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じゃーん!Fromagerie Café haru さんです。

長いんで、ここからはharu(ハル)さんと呼ばせてもらいましょう。

haruの店主である吉見さん、実は僕が高秀牧場で働いていたときの先輩であり仕事を教えてもらった人なのです。

しかも、吉見さんは高秀牧場のチーズ工房をずっと切り盛りしていた職人さんなのですよ。

だからこそ、吉見さんが高秀牧場を卒業されて、工房・カフェを開かれたときにはこころからうれしく思いました。

場所はいすみ市の山田地区というところになります。

このあたりは周囲を山に囲まれた里山色の強いエリアで、景色も牧歌的で素晴らしいところです。

そんな涼やかなところで作られるチーズ。

実はもう何度か口にしているんですが、ぜひたくさんの方に食べていただきたいと心から思える和やかなのにしっかりとした味わいのするチーズが楽しめます。

そして、店名でもあるこのharuというチーズ。

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先日より、ついに完成し店頭にならびはじめました。

ここまでくるのに吉見さんご夫婦がどれほどの修行と苦難と努力があったのか、もはや想像の域を超えるものです。

そのすべての結晶がこのharuというチーズになって籠められています。

そんなに大量生産はできないだろうけど、できるだけたくさんの人に食べてもらえればなあと思っています。

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ちなみに奥さんの作るこちらのクレープもまた絶品です。

超絶シンプルなのに、ふんわりもちもちで幸せなやつなの。コーヒーがよく合うんだ。

Fromagerie Café haru さん、いすみにいらした折にはぜひ訪れてみてくださいませ。

 

 

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