星空スペース

料理、このあまりにも割に合わなく狂わしい滅びの美学


毎度どーも、星空スペース店長です。

なんとなくですが、峠を越えた感じがしています、寒さの。

喉もと過ぎればって言葉がありますが、気温の感じ方ってのも不思議で、鼻がツンとしなくなったり、手がかじかまなくなったり、吐く息で手を温めなくなったりしだしたら、春が近づいているのかなと思うようになりますね。

ああ、ジャガイモ植えなきゃなあとか、春は春でまた忙しくなりますよ。

 

さて、昨日も団体様がいらっしゃり、星空スペースで地元食材を楽しんでいっていただくことができました。

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昨日はえらく陽気がよかったんで、お外でご飯を食べていただくことに。

たくさん作った料理もほぼすべてを完食していただけました。

 

料理、このあまりにも割に合わなく、狂わしい滅びの美学に、僕ははまっています。

 

僕は何時間でも仕込みに時間をかけられる。仕込みめっちゃ楽しいんです。誰とも会えなくともいい、もうずっとやっていたいとすら思います。

ときには徹夜して仕込みをしているときもままあります。

でも、仕込みをしているときこそが充実していて、無になれて、そして幸せを感じるんですよね。

「時給」という観念に直すと、悲しいくらいに割に合わない。

はるか昔、コンサルティング会社にいたときは僕の時間単価は1時間当たり数万円とかだったりしたわけですが、それを料理に適応したら、料理をお客さんに数万円を負担してもらわなくてはいけない。

まあ、料理の値段よりも、コンサルタントに払うフィーのほうが、何だったんだって話ですけどね。

 

料理というのは何もかもが一発勝負です。

特に火入れの段階は失敗したら後からそれをとり繕うのはほぼ不可能です。

だから絶対に気が抜けない。

そして、お客さんと向き合うのもまた勝負なり。

僕だって1000円の料理を食べにいって、不味かったり、サービスの質が悪かったら、二度とその店には行きません。

料理って本当にお客さんの反応がストレートにわかるんです。これを読んでいる方も、自分が料理したものを食べてもらって、その場でお金をもらう勇気があるかどうか、自分の心に聞いてみてください(笑)。

失敗したら、二度とそのお客さんは来てくれなくなる。

でも、だからこそ、お客さんと真剣勝負で向き合えるとも言えるんです。

そういう商いの基本的な緊張関係って本当に大事だと思うんですよね。

たとえば、携帯・スマホのように、多少のサービス的欠陥があったとしても、どうせ逃げられないだろ的な発想の仕事をしていると、提供し続ける人間のほうが精神をやられて駄目になっていきます。携帯・スマホだけではなく、交通業や公共サービスなども同じようなことが言えますね。お客さんとの真剣勝負ができなくなった商売というのは、売り手の方の精神が腐ってしまうんです。精神をやられたら感謝の気持ちが自然に出てこなくなっていきます。「売ってくれてありがとう」=「買ってくれてありがとう」と言いあえないような関係になったら要注意なんじゃないかなと感じますね。

話しそれましたが、料理をつくるときにはお客さんの好み、性別や年齢層、季節や気候、その時々の食材の性質によって、お客さんのことをいろいろ思い浮かべながら、毎回毎回献立を考える作業は本当に狂わしく、いつも頭を悩ませています。

 

料理は滅びの美学だと空になった皿をみていつも思います。

料理は出された瞬間ではなく、食べてくれる人がいて始めて完成になります。

せっかく、どれほどの時間と手間隙をかけて作り上げた作品も、食べられた後は跡形もなくなります。

人類の長い歴史の中で、きっとたくさんの素晴らしい料理が作られてきたんでしょうが、そのすべてはこの世から消失し、人々の記憶に残る便(ヨスガ)のみがその料理を知る手がかりになります。

食べては消え、食べてはまた消える、そんな料理を作る料理人たち。

しかし、空になった皿を見て、料理人の心は逆に満たされるのです。

まさに滅びのアート。

自らのアート作品がきれいにこの世から消え去ったことをみて、アーティストである料理人は精神の充溢を得るのです。

人間が毎日空腹になることに祝福を!